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アーカイブ:2000-2009年

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2000-2009年のあいだに、せんだいメディアテークの企画に関するものや各種媒体(新聞や小冊子など)に寄稿した文章。
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2022年8月の記事一覧

プチブルのひそかなたのしみ-凝視できない隣人を凝視するためのワイズマン-

この短い文章は、2002年5月30日付けのテキストファイルというだけで、何のために書いたのか思い出せない(思い出したら追記する)。しかし、当時せんだいメディアテークで企画した『映画への不実なる誘い』の打ち合わせか何かでお茶をご一緒しているとき、その講師である蓮實重彦氏からふと「あれ面白かったですよ」と言われたことだけは憶えているので、どこかに載ったものであることは間違いない。そして、たとえそれが社会人3年目になったばかり、映画をろくに知りもしないままの若造へのリップサービスだ

『女中たちのボレロ』のボレロ (『女中たちのボレロ』 /作:大信ペリカン/演出:いとうみや/2008年/白鳥ホール)

知人の紹介で参加した『リレーエッセイ仙台』なる本を作るという遊び?のために書いたものの完全版である。映画で言えば「ディレクターズ・カット」(ちなみに、往々にしてディレクターズ・カットは監督の思いが強すぎて作品としては冗長で退屈になりがちである、と伏線を張っておく)。というのも、その本は執筆した人だけに配られる本をつくるもので(それでも200人はいたはず。図らずもそこに小学生からの幼馴染みがいて驚いた)、遊びとはいえ原稿の文字数が限られており、それに掲載したものはこの半分に縮小

バスタブだけの部屋

当時仙台市内でギャラリーを運営したりしていたNPOリブリッジが発行するフリーペーパー『リブリッジ・ホテル』のために書いたもので、「ホテルに深夜チェックインする客が紹介する本」という設定で依頼され、それからすぐ15分ほどで書かれている。ある種のパロディであり、ただひたすらふざけているだけではあるが(当時ささやかに面識があった「菊地成孔さん風に」といったノリで)、おそらく人生で書いた中でもっとも“速い”文章であることには違いない。初出:『リブリッジ・ホテル』(2005年) こん

イレネオのために映画を

『ショートピース!仙台短篇映画祭2003』(2003年10月11-13日/せんだいメディアテーク)のために書いた文章である。初出:『ショートピース!仙台短篇映画祭2003 パンフレット』(2003年) 映画のはじまりは短篇であった。 それを単なる発明というより発見されるべきものとしてこの世に送り出したリュミエール兄弟が作った映画のなかでも、最も古いもののひとつに『工場の出口』という作品がある。文字通り工場の出口から次々と人が出てくる様子を撮影したもので、いくつかのヴァリエ

幻肢痛、または、あらかじめなかった身体の記憶 (ALTERATION 2003/青野文昭個展)

宮城県仙台市にあったwhat's art galleryで行われた『ALTERATION 2003』(青野文昭個展)のために書いた文章。今はできる限り美術から距離をおいて暮らしたいと思っているが、当時はそんなことまで頭が回らず、子どものころからお世話になっていたギャラリーの方に頼まれるままに書いた批評のようなもの(おそらくこのギャラリーのためにしか書いたことがない美術評というものの一つ)である。 初出:『what's art gallery catalogue_青野文昭』(2