世界の名ボクサー:ハリー・グレブ(Harry Greb)「最強のミドル級」
ハリー・グレブ(Harry Greb)
1894年6月6日~1926年10月22日
①世界最強
「世界で最も強かったのは?」。これはいつの時代もボクシング・ファンを熱くさせてきたテーマ。「ミドル級」と言えば、シュガー・レイ・ロビンソン、カルロス・モンソン、マービン・ハグラー、ゲンナジー・ゴロフキン、といった名前が挙がるだろうか。古い識者の意見をまとめるとその答えは「ハリー・グレブ」。「ピッツバーグの人間風車」「スモークシティのワイルドキャット」「ピッツバーグのベアキャット」などと呼ばれ、約300戦(公式記録は108勝(49KO)9敗3分。当時は「KO以外は引き分け」という「無判定試合」が多かった)。「グレブこそ最強」の根拠は「相手を選ばず誰とでも戦った」ところにある。当時、白人の有力選手は実力のある黒人選手との対戦を避けることが多かったというが、グレブはそういった相手とも対戦。またミドル級であるにもかかわらずヘビー級とも戦う無鉄砲ぶり。文豪アーネスト・ヘミングウェイから「偉大なアメリカ人の一人」と評された。
②生い立ち
ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。本名はエドワード・ヘンリー・グレブ。「ハリー」はリングネームで、死んだ兄弟の名。父はドイツ人で、母はアイルランド。14歳で家出。海軍でボクシングを始める。荒っぽいが、スピード&テクニックを身に付けた。週12ドルでトタン屋根を葺く仕事をしていたが、プロ転向。なかなかの稼ぎ。「トレーニングはリングでやる」というぐらい頻繁にリングに上がり、試合で鍛える実戦派。しかしながら、粗いボクシング。「レフェリーは不要」というのが信念。隙あらば攻撃し、ラフファイトが得意技(グローブのヒモの部分を使ったり)。破天荒なのはリング外でも。女にモテ、からんできたチンピラをKOしたことも。また、1925年1月22日にキッド・ルイスとエキシビションを行ったが、互いに熱くなって真剣勝負に。強打の応酬になったという。
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