世界の名ボクサー:マービン・ハグラー②「驚異的な世界ミドル級王者」

強打の統一世界ミドル級王者。世界王者になる前の試合。ベニー・ブリスコ戦、ウィリー・ウォーレン戦、レイ・シールズ戦、ノルベルト・カブレラ戦を紹介します。

マービン・ハグラー(アメリカ)
身長177cm:スイッチヒッター(両構え)

①マービン・ハグラー 10R 判定 ベニー・ブリスコ
(ミドル級戦、1978年)
(感想:フィラデルフィアでの注目の一戦。ハグラーはこれまで40勝(33KO)2敗1分。ブリスコはジョージア州出身で60勝(50KO)16敗6分。KO数が多いが、負け数も多い。ニックネームは「Bad(悪)」「無冠の帝王」(何が「悪」なのだろう?)。彼のトレードマークは「スキンヘッド」。髪を剃っている理由は「散髪代の節約のため」(本心だと思うが、ジョークかもしれない)。14人兄弟の貧しい家庭の出。スポーツする楽しさを覚え、ボクシングを選ぶ。16歳の時にフィラデルフィアへ。あのジョー・フレージャーと一緒にトレーニング(強くなるのも当然)。将来を考え、仕事を続けながらボクサーの道へ。アマチュアでも活躍(アメリカの大会で銀メダルを獲得したことも)。デビュー以来、連勝だったが、連敗したことも。世界王者になる前のモンソン(アルゼンチン)と対戦してドロー(初戦)。世界王座を懸けてモンソンと再戦したが、勝てず。その後、モンソンが返上した世界ミドル級王座をロドリゴ・バルデスと争ったが判定負け(結局、バルデスには三連敗。一度も勝てなかった)。後に80年代前半のボクシング界をリードする存在となるハグラーと試合。共にスキンヘッド。サウスポーのハグラーがフットワークを使いながらジャブ、連打。ブリスコは強打を当てようとするが、ハグラーのフットワークとディフェンスにかわされる。足を止めての打ち合いもハグラーがパンチの正確さで優勢。判定は3-0。ハグラーの手数が評価されたか(この頃のハグラーは速いパンチで勝負するタイプだった。ビト・アンツォフェルモの世界ミドル級王座に挑戦して引き分けた後、パワー重視のスタイルになった)。モンソン、ハグラーと戦ったブリスコ。彼にとってはどっちが強かったのだろう? 1分間のインターバルの時も座らなかったスキンヘッドのブリスコ(カムバック後のジョージ・フォアマンに似ている)。フォアマンのようにもっとジャブを使う選手だったら世界王者になっていたかもしれない。)

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