世界の名ボクサー:ジョー・フレージャー②「人間蒸気機関車」

世界ヘビー級王者。驚異の左フックで快進撃。世界王座戦。バスター・マシス戦、マヌエル・ラモス戦、オスカー・ボナベナ戦(再戦)、デーブ・ジグルヴィツ戦を紹介します。

ジョー・フレージャー(アメリカ)
身長182cm:オーソドックス(右構え)

①ジョー・フレージャー 11R TKO バスター・マシス
(ニューヨーク州公認世界ヘビー級王座決定戦、1968年)
(ダウンシーン)
11R:左フックでマシスがダウン
(感想:フレージャーがタイトル獲得。プロ入り後、全勝を続けるフレージャー。プロ20戦目で世界王座に挑戦。相手は因縁のマシス。アマチュアではマシスに勝てなかったフレージャー。プロではどうか? マシスはミシシッピ州出身。アマチュアで優秀だったが、負傷のため東京オリンピック(1964年)には出場ならず(代理で出場したフレージャーが金メダル獲得)。プロ入り後はチャック・ウェップナーらを相手にこれまで全勝。いつのことかは不明だが、ジョー・ルイスから指導を受けたことがあるとか。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(レフェリーはアーサー・マーカンテ)。足でリズムを取りながらジャブ、ワンツーのマシス。アマチュア出身らしい動き。フックも巨体の割には器用。フレージャーはダッキングしながら前進。突き刺すようなジャブにスピードとパワー。接近して左右フックをぶちかましていく。マシスはどことなくアマチュア。距離を取ろうとし、接近戦はクリンチで避ける作戦。左フックからの右フックを決めるシーンもあるマシスだが、フレージャーは止まらず。7R終了間際、フレージャーの左フックでマシスが後退。11R、左フックでマシスがダウン。立ったがかなり足に来ており、レフェリーは試合を止めた。フレージャーが攻めの姿勢で勝利。マシスは受け身の試合ぶりで勝負を避けていた。プロとアマの違いを感じた試合だった。その後のマシス。ジョージ・シュバロらに連勝。しかし、ジェリー・クォーリー、カムバックしてきたモハメド・アリらに敗北。王座を獲得することなくリングを去った。引退後は身体の不調。1995年に心不全で死去(52歳)。息子もヘビー級ボクサーに(マイク・タイソンと対決したことも)。全米王者になったが、世界王者にはなれなかった。)

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