世界の名ボクサー:ジョー・フレージャー①「人間蒸気機関車」

世界ヘビー級王者。驚異の左フック。デビュー初期の試合。ディック・ホッパーマン戦、オスカー・ボナベナ戦、エディ・マッチェン戦、ジョージ・シュバロ戦を紹介します。

ジョー・フレージャー(アメリカ)
身長182cm:オーソドックス(右構え)

①ジョー・フレージャー 5R TKO ディック・ホッパーマン
(ヘビー級戦、1966年)
(感想:相手に接近して精力的な攻めをすることから「人間蒸気機関車」と呼ばれたフレージャー。フィラデルフィア出身。農家の生まれ。重労働で体力がついた。元々はシェイプアップのためにボクシングを習っていたが、性に合ったようで本格的に取り組む。そして、「根っからのボクシング好き」に。その理由は「競い合うことで自分の存在を証明できるから」とのこと。アマチュアでも優秀な選手だったが、どうしても勝てなかったのがバスター・マシス。マシスに敗れ、オリンピック出場ならず。ところがマシスが負傷。代理出場した東京オリンピック(1964年)で金メダル獲得。しかし、オリンピックで左手を骨折。精肉工場での職を失う。そのケガは治ったが、トレーニング中の事故で左目を負傷(キャリア初期の出来事だそうだが、具体的にいつのことかは不明)。結果的に左目を失明。このことは後のキャリアに大きな影響を与える。プロデビューしたが、資金の問題が。ボクサーが稼げるようになるには時間がかかる。モハメド・アリ(当時、カシアス・クレイ)がデビューしたときのようにフレージャーにも援助組織。銀行家、実業家、請負業者、弁護士、聖職者、医師、ジャーナリストといった実業家で構成されるグループ「クローヴァレイ社」がフレージャーを支援(1966年1月。結果的に9年間、フレージャーと「クローヴァレイ社」の関係は続いた。その後はフレージャー自身が自分をマネージ)。強烈な左フックを武器に連勝。ホッパーマン戦はプロ6戦目となる。ホッパーマンはニューヨークの白人。このところ連勝中であるが、オスカー・ボナベナ、ヘンリー・クーパーらに三連敗を喫したことも。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。5Rのみの映像で観戦。フレージャーがダッキングしながらジャブで相手に接近。そして右ストレート、左右フック、ボディ打ち。「アマチュアで金メダル」というと「いかにもアマチュアスタイル」といった戦い方をする選手が多いが、フレージャーは完全にプロ向きの戦闘的なスタイル。パンチにはパワーとキレがある。ホッパーマンはすでに打たれて疲れてしまっていたのか動きが鈍く、パンチも大振り。ぐいぐい相手に迫るフレージャー。ホッパーマンは大した反撃ができず、レフェリーは試合を止めた。フレージャーが後に見せる動きで勝利。この時点で戦いのスタイルは完成していた。ホッパーマンはその後、ジョージ・シュバロ、バスター・マシスらに連敗してキャリアを終えた。)

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