世界の名ボクサー:フロイド・パターソン⑥ラスト「ガゼルパンチの使い手」

世界ヘビー級王者。キャリア末期の試合。オスカー・ボナベナ戦、ペドロ・アゴスト戦、モハメド・アリ戦(再戦:北米へビー級王座戦)を紹介します。

フロイド・パターソン(アメリカ)
身長183cm:オーソドックス(右構え)

①フロイド・パターソン 10R 判定 オスカー・ボナベナ
(ヘビー級戦、1972年)
(ダウンシーン)
4R:左フックでパターソンがダウン
(感想:元世界ヘビー級王者パターソン。王座返り咲きを目指してリングへ。ジミー・エリスのWBA世界ヘビー級王座挑戦に失敗後、連勝中(54勝7敗1分)。72年初試合(2月)の相手はパワーファイター。ボナベナ(47勝7敗1分)はアルゼンチン・ブエノスアイレス出身。ニックネームは「Ringo」(ビートルズのような髪型が由来)。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」でデビュー(勝利)。トム・マクニーリー(パターソンの世界王座に挑戦)らを相手に連勝。ゾラ・フォーリーに判定で初黒星。その後、主戦場をアルゼンチンに。アルゼンチン王座獲得、タフ男ジョージ・シュバロに判定勝ち。新鋭対決でジョー・フレージャーをダウンさせたが、判定負け。パターソンも出場した「WBA世界ヘビー級王座決定トーナメント」でカール・ミルデンバーガーに勝利したが、ジミー・エリスに敗北(エリスは勝ち進み、新WBA王者に)。ゾラ・フォーリーに地元で雪辱。ジョー・フレージャーのニューヨーク州公認世界ヘビー級王座に挑戦したが、またしても判定負け(1968年)。カムバック中のモハメド・アリに15RでKO負け。再起戦に勝利して、このパターソン戦。「歴戦の勇者」ではあるが、それだけ長く戦っている。コンディションはどうか? ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。ゴング前、エミール・グリフィスがリング上で挨拶、選手激励(グリフィスは元世界ウェルター級、ミドル級王者。当時、ミドル級王座奪回を目指して王者カルロス・モンソンをターゲットにしていた)。ダッキングしながら前進するボナベナ。ゴツそうな腕で左フックを振るう。しかし、全体的に重そうな動きでパンチのキレに欠けるところがある。パターソンは足でリズムを取ってジャブを使うアウトボクシング。時折パワーを込めてコンビネーション(右ストレートからの左フックなど)。ボナベナが腕力を感じるボクシング。パターソンはディフェンス、クリンチ。ボナベナの攻めは単発に終わる。しかし、パターソンもパンチよりフットワークが多い難点が。4R、左フックでパターソンがダウン(さすが「一発屋」ボナベナ)。その後もパターソンは連打&アウトボクシング。ボナベナはゴツいパンチ。10R終了。判定は3-0。パターソンが老獪さで勝利。時折パワフルなパンチを打っていたが、それを継続できないのがピークを過ぎた選手の悲しさ。ボナベナはパンチにパワーを込める分、流れるような攻撃ができない欠点があった。その後もボナベナはリングへ。アメリカ、イタリア、地元で試合。中堅どころには勝利したが、実力者ロン・ライルに判定負け。悲しいことに1976年5月、ネバダ州リノで何らかのトラブルで射殺され、同年2月に判定勝ちした試合がラストファイトに。世界王者にはなれなかった。)

ここから先は

1,440字
この記事のみ ¥ 100
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?