世界の名ボクサー:マシュー・サアド・ムハマド①「流血の激闘王」

WBC世界ライトヘビー級王者。常に激闘の強打者。初の世界挑戦。マービン・ジョンソン戦(初戦・再戦)、リッチー・ケイツ戦、アルバロ・ロペス戦(初戦)ほかを紹介します。

マシュー・サアド・ムハマド(アメリカ)
身長180cm:オーソドックス(右構え)

①マシュー・フランクリン 12R KO マービン・ジョンソン
(北米L・ヘビー級王座決定戦、1977年)
(ダウンシーン)
12R:連打でジョンソンがダウン
(感想:フランクリンがタイトル獲得。フィラデルフィア出身のマシュー。「マシュー・サアド・ムハマド」は後に改名した名前。記録によると5歳のときに捨て子になり、修道女によって「マシュー・フランクリン」と名付けられた(世界王者になって実の両親を捜そうとしたマシュー。父母の名を確認。父は軍人だったそうだ)。養子となって学校に通うようになったが、町の治安は最悪。ギャングに脅されたり、殴られたり。マシューは抵抗を諦め、ギャングの仲間入り。更生施設に入るに至り、そこでボクシングを始めることを決意。アマチュアで20試合を経験し、プロへ。これまで15勝(9KO)3敗2分。戦績は悪くはないが、マービン・カメル(後、WBC・IBF世界クルーザー級王者に)、エディ・グレゴリー(後、WBA世界L・ヘビー級王座を獲得し、名を「エディ・ムスタファ・ムハマド」に変更)といった実力者に負けている。ただ、KOされたことはない。このジョンソンとの初戦は「ムハマド」に改名する前の試合。ジョンソンはインディアナ州インディアナポリス出身のサウスポー。アマチュアで優秀な成績。1972年のミュンヘン・オリンピックではミドル級で銅メダル。プロではこれまで15戦全勝(12KO)。フランクリンの地元フィラデルフィアで行われたライバル対決の初戦。左右の構えは違うが、共にジャブ、ストレート。攻めるジョンソン。フランクリンは右ストレートで応戦。接近戦での打ち合い。互いに強打を食う。フランクリンは右ストレート、ジョンソンはフック連打が印象的。攻め続けるジョンソンだが、11Rに連打されてグラつく。12R、ロープ際で連打されたジョンソンがロープをつかみながらダウン、KO。一貫して攻め続けたジョンソン。パンチが当たるので倒せると思ったのだろう。打たれても打たれても倒れなかったフランクリンの粘り勝ち。両者は後に世界王座を懸けて再戦する。)

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