世界の名ボクサー:ラリー・ホームズ①「イーストンの暗殺者」

WBC・IBF世界ヘビー級王者。世界王者になる前の試合&世界挑戦。アーニー・シェイバース戦(初戦)、ケン・ノートン戦、アルフレド・エバンヘリスタ戦ほかを紹介します。

ラリー・ホームズ(アメリカ)
身長191cm:オーソドックス(右構え)

①ラリー・ホームズ 6R TKO ロドニー・ボビック
(ヘビー級戦、1975年)
(感想:弟マークもプロボクサーだった「兄弟ボクサー」のホームズ(マークの通算戦績は38勝(17KO)1敗。見事な数字ではあるが、全米ミドル級王座戦で2RでTKO負け。ローカルな相手がほとんどだった印象)。ジョージア州出身の黒人。その後、ペンシルベニア州イーストンに引っ越し。子沢山の貧乏一家だったため学校を辞め、働くことを選択。18歳でボクシングを始める。アマチュアでも優秀な選手であったが、ミュンヘンオリンピック(1972年)には出場ならず(サウスポーに敗北。後にプロになるデュアン・ボビックにも敗北)。プロ入り後はこれまで全勝。モハメド・アリやジョー・フレージャーのスパーリングパートナーを務めたことが良い経験になったらしい。ボビック戦はプロ17戦目。ボビックはミネソタ州の白人。デュアン・ボビックの弟。元世界ライトヘビー級王者ビセンテ・ロンドン、後の世界ヘビー級王者マイク・ウィーバーに勝利。このところスコット・ルドー(後にホームズと世界戦)に敗北するなど勝ったり負けたり。フィリピン・ケソンシティでの一戦(あの有名な「スリラー・イン・マニラ:モハメド・アリ vs. ジョー・フレージャー(世界ヘビー級王座戦)」のアンダーカード。後の世界王者でフィリピン人のローランド・ナバレッテも出場。TV解説席にはケン・ノートン)。黒のガウンのホームズ(トランクスは白)。トレーナーにリッチー・ジャケッティ。ボビックは赤のガウン&トランクス。試合開始。この試合の時点で既にスタイルが完成しているホームズ。距離を取ってディフェンスするアウトボクシング。パワーとスピードのジャブ、右ストレート、左フック、右ボディフック。コンビネーション(特にワンツーからの左フック)、右アッパーが強烈。ボビックは残念ながら器用なタイプではない。ジャブはまずまずだが、フックが不正確。ブロッキングなどのディフェンスのテクニックも持っているが、速いジャブを食う。連打をまとめるホームズ。3Rに右を食ったが、逆に右ストレートでお返し(やられたらキッチリやり返す気の強さ)。その後もホームズは丹念にジャブを打ち込んで相手の勢い、スタミナを奪う。6R、ホームズが「打ってこい!」といった感じで相手を挑発。それに応じて攻めるボビック(素直)だが、ディフェンスされて反撃は単発に終わる。ホームズの強烈な右ストレート。さらに右ストレートでボビックがフラついたところでレフェリーストップ。ホームズが圧勝。相手はタフだったが、丁寧にジャブで弱らせた。また、首を少しひねって相手のパンチをかわすところなどはアリそっくり。スパーリングでアリから学んだのだろうが、そのせいで彼は「アリのコピー」などと言われ続けることになる。ボビックはタフだったが、コンビネーションできないバランスの悪さがあった。その後のボビック。再起二連勝後、1977年に25歳で交通事故死。兄デュアンはミネソタ州王者になったが、敗北(ノートンに1RでKO負け)もあって世界挑戦することは無かった。)

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