世界の名ボクサー:マイク・タイソン⑫「強打の鉄人」

世界ヘビー級王者。全盛を過ぎ、海外で試合。ジュリアス・フランシス戦、ルー・サリバース戦、アンドリュー・ゴロタ戦、ブライアン・ニールセン戦を紹介します。

マイク・タイソン(アメリカ)
身長178cm:オーソドックス(右構え)

①マイク・タイソン 2R KO ジュリアス・フランシス
(ヘビー級戦、2000年)
(ダウンシーン)
1R:右ボディ、左ジャブで2度、フランシスがダウン
2R:右フック、左アッパー、右アッパーで3度、フランシスがダウン
(感想:80年代に史上最年少で世界ヘビー級王者になったタイソン。刑務所に入ったりするなど何度も「タイソンは終わった」と言われながらも現役続行。2000年になって初のリング。これまでアメリカを主戦場に戦い、海外試合は日本での二試合だけだったが、初の英国での試合。かつてフランク・ブルーノ(英国)と英国で防衛戦をやる話もあったが、黒人に対する人種差別を恐れたタイソンが英国行きを拒否したことがある(ブルーノも黒人なのだが)。その後、英国ボクシングはナイジェル・ベン、クリス・ユーバンクといった黒人スターが当たり前のように活躍するようになり、黒人のマービン・ハグラーが英国の白人アラン・ミンターを破って英国の観客からモノを投げつけられた時とは様変わり、といったところ。対戦相手のフランシスは英国の黒人。英国王座、英連邦王座を獲得、防衛してきた。若手時代にジョン・ルイス(後、WBA世界ヘビー級王者に)にKO負け、1998年にはアクセル・シュルツ、ビタリ・クリチコに二連敗を喫している。英国・マンチェスターでの一戦。開始から互いに接近戦。左右フックでの打ち合い。それはタイソンにとって「願ったり」の展開。豪腕を振るい、フランシスを二度ダウンさせる。2Rには三度ダウンさせて終了。フランシスは悪い選手ではなかったが、打撃戦を選択。元々そういう戦い方をしてきた選手なのかもしれないが、腕力は健在のタイソン相手に無謀な戦い方だった印象。タイソンはやっぱり身体が固い。アッパーを見せたが、パンチの伸びに欠けた力ずくの打ち方だった。その後のフランシス。WBOのインターコンティネンタル王座を獲得できたが、欧州王座戦、WBF王座戦に敗北。タイソン戦後は負けが多いキャリアとなった。)

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