世界の名ボクサー:シュガー・レイ・ロビンソン⑦ラスト「史上最強の拳聖」

世界ウェルター級、ミドル級王者。全盛を過ぎてもリングへ。ジョーイ・ジャーデロ戦、エミエル・サレンス戦、ジョーイ・アーチャー戦ほかを紹介します。

シュガー・レイ・ロビンソン(アメリカ)
身長180cm:オーソドックス(右構え)

①ジョーイ・ジャーデロ 10R 判定 シュガー・レイ・ロビンソン
(ミドル級戦、1963年6月)
(ダウンシーン)
4R:左フックでロビンソンがダウン
(感想:42歳のロビンソン。このところ連勝中(しかし、世界戦は1961年3月のジーン・フルマー戦がキャリア最後のものとなった)。後の世界ミドル級王者ジャーデロと勝負。ジャーデロはニューヨーク・ブルックリン出身の白人。イタリア系で本名は「カルミネ・オーランド・ティレッリ」。当時のブルックリンは荒れたスラムではなかったがギャングがおり、ジャーデロは連中とつるんだり、ケンカ沙汰になったり。独立心が強いジャーデロ。15歳の時、ジョー・ジャーデロという年上のいとこから出生証明書を購入し、米陸軍に入隊。ニュージャージー州でプロデビューを果たしたが、親バレしないようにするために再びジャーデロの名を借用。実力者と対戦。しかし、自動車事故で後遺症が残ったり(膝を損傷)、ガソリンスタンドでの暴行で6か月の懲役刑を言い渡されたり。多くの試合を経験してきたが、大きなチャンスは得られず(当時はまだギャングがボクシング界に影響を及ぼしていた)。ナイジェリアのディック・タイガーと一勝一敗の後、ジーン・フルマーのNBA世界ミドル級王座に挑戦したが、引き分け(「史上最も汚い戦い」と評価された試合。互いにラフファイト。両者とも自分が勝ったと主張。ジャーデロ「ジーン・フルマーは最も汚いファイターの一人だった。」 と後に語っている)。その後、不調。スランプを抜け出して、このロビンソン戦。ペンシルベニア州フィラデルフィアでの一戦。互いにジャブ。ジャーデロが重そうな右ストレート、左フック。打ち合い。4R、左フックでロビンソンがダウン。その後も一進一退。10R終了。判定は3-0。ジャーデロがパワーで勝利。ロビンソンの動きは悪くはなかったが、世界を狙うタフな選手を仕留めるだけのパワーは最早、無い。その後の二人。ロビンソンはヨーロッパ遠征。ジャーデロは次の試合でディック・タイガーから世界ミドル級王座奪取。初防衛戦でルービン・カーターに勝利(カーターはその後、冤罪で長期服役。映画にもなった)。しかし、タイガーとの四戦目に敗れ、王座陥落。)

ここから先は

2,521字
この記事のみ ¥ 100
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?