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記事80:ヒップホップって何回言えば気が済むの

俺は行かないけど金やるから、これで飲んでこいよ。そういう人が現実世界に実在するとは思っていなかった。どういう考えなんだろう。ありがたくもらいましたけど。お金配りたい人って一定数存在するもんなんだろうか。

ヒップホップが世間に浸透しないと、この狭い狭い空間で嘆き続けている者なんですが。それでも20年前から状況は前進している。(と思いたい)
少なくとも韻に対する理解がある人は増えていると思う。ただ日本語の韻というのは他の言語と比べるとまた特殊で…という話はくどいので夢の中でするとして、普段ヒップホップを聴かない人でも韻の概念はなんとなく分かるぞ、という人も増えたように感じている。

これは素直に喜ばしいことだ。だがしかし、ヒップホップにおいて韻は必要条件ではないのだ。そもそもヒップホップは音楽ジャンルのひとつだし、「ヒップホップシンガー」という言葉だって成り立つ。
ヒップホップには韻が無いとダメでしょ!と信じている人はだいたい、ヒップホップとラップがごちゃ混ぜになっているのだろう。

ラップはヒップホップを構成する要素のひとつだ。よって、ラップなしのヒップホップ(インスト)だってもちろん成立する。ヒップホップバンドのボーカルがラップをしなくたっていい。
むしろヒップホップ好きは、ラップの方ではなくビートのリズムの中にヒップホップを感じていることが多いのではないかと思う。どんなのがヒップホップか?と問われれば、聴いた人がヒップホップと思えばそれがそれだ。ある人がパンクだと言ったものを、ある人はヒップホップと感じるかもしれない。他のジャンルとの間にも、あるのはおそらくその程度の違いだ。

ということで、ヒップホップには韻が必ず必要というのではなくて、ラップに韻が必要なんだ。
ところがこれも違う。(書き忘れていたが、最初からずーっと持論だ)

ヒップホップに必要なリズムを生み出すために有効な歌唱方法がラップであり、ラップにおいてリズム感を生み出すために有効なのが韻である、というだけだ。ここもまた、必要条件ではない。
日本のラッパーでいうと、KOHHやPUNPEEにはあまり韻のイメージがない。それでもやはり、彼らは一流のラッパーだ。

韻を使わなくてもヒップホップのリズム感、グルーヴを生み出すことはできるのだ。韻もラップも必ず必要ではない、それでは何がヒップホップをヒップホップたらしめるのか?
聴いた人がヒップホップと思えばそれがそれということだ。

これが15年以上日本語ラップを聴き続けた者の意見です。どうです、ヒップホップには脳を溶かす効果でもあるのかしら。

でんぱ組.inc『WORLD WIDE DEMPA』

反動ですよ。ヒップホップって何回も言うから。

でんでんぱっしょんを初めて聴いたときの衝撃は相当だった。良い曲とか悪い曲とか、そういうんじゃない次元でやられた。

このアルバムはシングル曲だらけでベスト盤に近くて、発売後しばらく狂ったように聴いていた。今もでんぱ組の活動はそれなりに追ってはいるが、このアルバムの余波で追い続けていると言っても過言ではない。

ちなみにでんぱ組の成り上がり方はヒップホップだと思っている。

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