32歳でラップをやってしまった男の2016年の記録⑤<MC BATTLE IS>
④はこちらから(https://note.mu/notinservicerap/n/n008b24fed748)
さて、最後に、高校時代、Dragon ashとBEATMANIAの「tokai」で日本語ラップを知り、浪人時代EMINEMとMC漢に食らい、そして今になって戦極MC BATTLEの巨大な大会を見、あるいはラップを始めている、俺にとっての、
「MC BATTLE」
というものについて、気持ちをまとめておきたい、これからのために。
MC BATTLEは音楽なのか?
答えは、どちらかといえば、俺の気持ちではNOに近い。
①で、俺は言った。俺はミュージシャンではない気がする。
MCBATTLEならやれる、ということは、MCBATTLEとは音楽ではなく、
「音楽のスキルをやや使用する言葉によるゲーム」
と、自分の中では思っているのかもしれない。
しかし、ミュージシャンにとって、このゲームは、宣伝になる。
優勝すれば、まるで格闘技や、スポーツ選手のように、金がもらえる。
俺のような、演劇をやるものにも、とろサーモンのような芸人にも、
MCBATTLEは宣伝になる。今後、俺たちのような人間も増えるだろう。
MCBATTLEがヒップホップの厳しい?戒律を抜けて、ヒップホップよりも市民権を得てしまったのが2016年だった。それに対する、音楽評論家の揶揄もあった。俺だって、いつもバトルに出ることに、うしろめたさがないわけじゃない。戦極MCBATTLEの主催、MC正社員はこう言う。
「HIPHOPじゃない人でもMCバトルは出れる。でも、やっぱり本当にMCBATTLEが強い人は、HIPHOPの人であってほしい。」
あるいは、アーティスト目線で、こういうラッパーたちの意見もある。
アーティストのジャンプアップ。それがMCBATTLEだ。
もちろん、競技的美しさもある。それもMCBATTLE。
口喧嘩が芸術と化する時もある。それもMCBATTLEだ。
だが、音楽ではない。音楽を生むチャンスをはぐくんでくれる場所、
そうとるべきだろう。実際、そこからR指定は、最高の相棒をゲットし、
自らのスキルとファンキーでポップなビートを融合させることを、
最新作でも証明している。彼はやっと数多いるバトルMCたちから抜け、
グッドミュージックを作れるアーティストへと変貌したのだ。
しかし、おかしいと思うときがある。そら、notorius BIGもバトルがうまかった。EMINEMだって超絶なスキルだったから、Dr.dreに注目された。
しかし日本で、ここまでMCバトルが熱くなった2016年とは?ZEEBRAが起こしたから?TVに乗ったから?そうではない気がする。なぜMCバトルを求める人が増えている?
そういえば、この「言葉あそび」の先達がいた。それが平安の貴族たちだ。小式部内侍、小野篁、紀貫之、小野小町…。百人一首を知っていれば、彼らの言葉のスキルに気づくはずだ。8小節2ターンではなく、31文字で日本語をフル活用し、その芸術点の高さを競った。それを、例えば日本人の遺伝子が思い出してるとしたら。
今、日本は1000年前のあの和歌の熱狂と、同じ熱狂を得ているのではなかろうか。僕が、HEIANMCZで、たどり着いた一つの結論はそれだった。
では自分にとって、BATTLEに参加する意義は…?
そんなものここで言ったって、別に誰も興味あるわけじゃない。
でも、俺はいつも、迷いながらあのバトルステージに立っている。
ブルーにこんがらがりながら、おそらく、まだステージを降りる気に、
今はなってない。
俺は音楽がやれる人間なのだろうか。そう、いつも自問しながら。
もう終わったかもしれないのに。今すぐにでも普通の会社員になっちまえばいいのに。
32歳の、禿でチビで太り始めた俺。何も誇るものがない俺は、
また新しい場所で、新しい劇場で、新しい世界にとびこんでいくようだ。
2016年、俺の飼い猫のように一番俺の近くに寄り添ってくれた、アルバムが、王子の、きっとKOHHの家からさほど離れてもいないモスバーガーで鳴り響く。
「… 大地讃頌 特に猫いつくしむ毎日 最近詳しくなった人気のない道…」
(LIBRO/あまなりしき)
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