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ブルーアーカイブのホシノちゃんを自分が先生なら、殺してしまうかもしれない

この気持ちをどこかに吐き出したくてNoteを作りました。

※この記事はブルーアーカイブのストーリー「対策委員会編」の重大なネタバレを含みます。








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〇前置き


自分が先生なら、自分が先生だったら、そういうIfをもって心の中でどうすればよいのかということを考え続けどこかに吐き出さなければおかしくなってしまいそうなためにここに吐き出そうと思いこの記事を作成するに至りました。
基本的には自分勝手な発言というか厄介な人間からの解釈であり、理解が得られるとは思っていなく、ただどこかに吐き出したいと思ったためここに書き殴らせていただきます・・・ご迷惑をおかけします。
只すっと目を通して、「ほーん」程度に思っていただければ、誰かの目に留まってみていただければ、誰かにこの気持ちを話したくて・・・作りました・・・。
ぶるあからいぶが2024/7/21に開催予定であり、その際にストーリーが更新され結末が分かるかもしれないということもあり、結末が示されていない今だからこそ書き殴っておかなければ自分の気持ちに整理がつかないと思ったのも強くあります。

〇まず自分の中での「先生」像について


凄く凄い人であると思います。ブルーアーカイブは「先生」目線で物語が動きます。「先生」は生徒にとって頼れる「先生」でありその場での最適な(確実に最適かは断言できませんが)言動・行動により生徒を助けたり生徒の困っていることを解決していく人です。言うのであれば「ヒーロー」みたいなものであり、自分とは程遠い人間像であるため、自分は正直プレイしていて「先生」に自分を重ねてみることはできず、物語の俯瞰者というべきか、もっと遠い世界に干渉できず只見守るだけの概念のような存在としてこのゲームのストーリーを読んでいるところがあります。
これはあまりにも自分がとても捻くれているからこそだと自覚しているのですが、正直な感想を言ってしまうと「先生」のセリフの中には「きれいごと」のような発言だなあととらえてしまうような発言も沢山あります。自分にはこんな奇麗な台詞は吐けないな・・・と強く考えることが多々あります。

(きれいごと、という言い方が正しくないかもしれません。只、ただ、生徒の抱える問題は往々にしてシチュエーションは違えど大枠が似通った問題としてリアルでも十分に起こりうる・抱えうる問題があると思っており、その手の問題の解決においてセリフを言うだけなら簡単だけれど、実際に行動に移して解決するのは難しいと思っています。言うは易し、行うは難しで実際にセリフだけで困っている、本当に窮地に陥っている人間を助けるという行為っていうのは実際できないものです。セリフだけで解決できるのであれば現実世界で起こっている問題はもっと解決していると思うしもっと単純明快で幸せが多い世界になっているのではないかと考えてしまいます。)

簡潔に言い直せば、自分にとって「先生」はあまりに理想的なことを言ってのけてしまう人間として自分には映って見え、どこか共感できない、理想の「ヒーロー」のように思えてならないのです。

〇タイトルの前に


人は死にます。確実に死にます。死んだ人間をよみがえらせることはできません(これにはちょっとだけ例外があるのですが後述します)。
過去を変えることもできません。これは現段階で私たちの世界では不変の真理であり、だからこそ創作物においても「蘇生」や「タイムマシン」などといったあまりにも(言ってしまえばありえないような)とんでもない方法で人を生き返らせたり過去に戻ったりしています。ある意味で私たちの生きる世界では「ありえない、起こりえない、成しえないこと」として認識したうえで、だがしかし「(人を生き返らせられるような世界で)あってほしい」「過去に戻ってやりなおしたい」などといった成しえない願いを込めて創作物に登場させているのではないかと私は日々いろいろな作品(映画やドラマ、ゲーム、アニメなど)を体験させてもらっている最中に感じることがあります。

重ねて言う形になりますが、死んでしまった人間を生き返らせる方法は私たちの生きる世界では「ありえない」し過去に起こってしまったことを改変する事は「ありえない」です。
まず一つ、ここで今回のブルーアーカイブのストーリーにおいて、「人が生き返る」「過去を変えられる」、あるいは「過去に亡くなった人をあの世に干渉し、今の現状を分かってもらったうえで助けてもらう」といった内容に帰着することは、あまりにも許せず、そのようなストーリーの運びになったら残念な気持ちでIpadをたたき割ってしまうかもしれないほど、陳腐だなあと思ってしまうかもしれません。
それ位、「死」といった変えられないこの世の理に対して「奇跡」を起こすことは自分にとって許せないことで・・・あります・・・(いずれ出来たらまた別記事にしたいと思っています)。
※ただ現在最新のストーリーにおいて最後の故人がまるで現在の状況を理解し、的確なことを主人公である「先生」に伝えるような描写があり、ウッ・・・と吐き気を催してしまっています。

「ありえない」というよりはブルーアーカイブの作品においても、「死」などのこの世の理でありえないことは「ありえないこと」であってほしいという気持ち・・・ですね・・・。人を生き返らせたり、過去に行けるような作品を陳腐だと思うことはありません。しかしブルーアーカイブにおいて、生徒が抱える問題は先述したように現実世界でも似たような問題として起こりうる心的外傷やトラウマ、そういった内容と関連した問題が多いと思っており、これまでのストーリーの進行において、「奇跡」が起こるというよりは・・・「先生」が的確に生徒を助け、現状を受け止め、現状からの最適な、最善の正解の選択肢を選んでストーリーが進んでいます。だからこそ今、今になって死んだ人が「生き返るような奇跡のような」事はあってほしくないというのが本音です。

また先述した「死んだ人間は蘇らない」ことについての例外ですが、例えばいわゆるCPA(心肺停止またはかつ呼吸停止のこと)で高度救命救急センターに運ばれてきた患者が、いわゆる心臓マッサージ(心マ)やボスミン(アドレナリン)投与にて心拍が再開するいわゆる「ROSC」は自身が現場にいた経験からもままあります。そういったいわゆる「超急性期」に該当する「死(まずそもそも超急性期の心肺停止は死ではないといわれればそれまでですが・・・)」については蘇らせることができる「かもしれない」ということは往々にしてあります。
勿論、低灌流時間が長ければ長いほど、いわゆるVegetativeな状態となり意思疎通が困難、(挿管された気管挿管が)抜管困難で気管切開、そこに人口呼吸チューブが繋がれ、意識が戻る前にリハ転(リハビリ病院へ転院すること)することも往々にしてあります。

〇ホシノちゃんについて


「過去」にとらわれてますよね。過去というよりは「ユメ先輩」に強い強い後悔と自責の念、そして助けられなかった後悔と死んでしまってもう先輩と会ったり話したりできないこと、これからも一緒に傍にい続けることができないこと。そういった内容で心の7-8割が埋められているのではないかなと思います。もちろん後輩たちのことも大切に思っているし、死なせたくない、離れていってほしくないという気持ちは本当だと思います。でもそれは心の残った2-3割の内容で。こういった変えることができない「過去」にとらわれてしまうということは本当にキツイ。きついんですよね、だって変えられないから。死んだ人は生き返らないし、また会って話すことも詫びることもできない。だから一生抱えていかなければならないものとして、爪痕として自分の中に強く残り続けます。後悔とか自責の念程残り続けるの、嫌ですよね人間ってホントに。
ホシノちゃんは「過去」に強くとらわれていると少なくとも「私」は解釈しています。こういった人が(私たちがきれいごと・理想とすることあるいは「先生」がしてくれる最善な最適解として)「救われる」方法は・・・その変えられない「過去」に対して折り合いをつけることだと思うんです。もちろんその変えられない「過去」を捨てる必要はないし、引きずってもいい。だけど折り合いはつけて、自分の心の中で噛みしめて解釈して、そしてそっと心の隅に圧縮した状態で置けるようになることがホシノちゃんが救われる形なのではないかなと思います。もちろん嫌な過去だった!と言って捨ててしまってもいい。捨てなくてもいい。圧縮しなくたっていい。自身が納得した折り合いさえつけられればそれでいい。それはホシノちゃん自身が決めることであり、たとえ「先生」だろうとその選択を強要することはあってはならないと思います。

でも。でも、ここまで「過去」や「変えられないもの」に対して縛られてしまっている人は、往々にして今言ったような「折り合い」を付けることは難しいんですよね。それでも、それでも「折り合いをつけること」ということは他者が強要してはならないと思っていて。「自分で、自分の意志で折り合いをつけること」が大事であると思っています。でもそれは難しい。どうすればよいでしょう?どうすればよいか、の選択肢というか正解については

「人による」という形が正解なのではないかと思っています。
ある人はAという選択肢で折り合いが付けられる。
またある人はBという選択肢で折り合いが付けられる。
「先生」が差し伸べたAのセリフで救われる生徒もいれば、そのセリフが地雷となる生徒もいるでしょう。
「先生」が差し伸べたBのセリフで救われる生徒もいれば、そのセリフが地雷となる生徒もまたいるでしょう。
なんなら「先生」や「親しい人」が寄り添ってくれることが「正解」の人もいると思います。逆に「寄り添わずほっといておくこと」が「正解」の人もいると思います。時間が解決してくれるパターンもありますしね。
何か遺品や形見、そういった「モノ」がキーとなる場合もあると思います。
今回のホシノちゃんとしては「先輩の手帳」にあたるやつ。

じっさいこういった心の問題の解決は非常に難しいんですよ。コミュニケーションというより、人の根幹をなすようなその子の本質・その子の性質にかかわるようなデリケートな問題においての「寄り添い方」は非常に難しい。
例えば10個の選択肢があったら9個は地雷で1個しか正解がない、みたいなことはよくあると思っています。まだそれならいいけれど、100個のうち99個地雷でした、のようなパターンもあると思っています。
普通のコミュニケーションでは(名前を挙げるのは失礼にあたるかもしれないと思い悩みましたが・・・)オモコロの永田副社長が仰るように「コミュニケーションをクイズにしてはいけない」ということは正しいと思います。普段のコミュニケーションにおいて他人の返答が自分の思った返答じゃなかった!として憤慨する行為などはやってはいけないことで、コミュニケーションという他者が介在する内容であるからこそ返答は確実に自分の期待に沿ったものではないということを理解せよということですよね。凄い正しいと思っています。でも今回のホシノちゃんのように「人の根幹」にかかわるようなデリケートなケースにおいて「その子を助けよう」という思いで救いの手を差し伸べるつもりでコミュニケーションをとるなら・・・地雷を踏んじゃ絶対いけない。正解を一発であてに行かなくてはなりません。一枚目の手札を切ったら地雷であったから次はこの手札を切る・・・と言ったプレイも許されません。
あくまで一発、一発勝負だと思います。その一発勝負に自分の信用を全て賭け、勝負しなければなりません。それ位の「覚悟」が「人を本気で助けようと思っている」ならば必要になると思っています。地雷を踏みぬけば信用は無くなる可能性が高いのではないかと思います。信用がなくなるどころか、折り合いをつけて(こちら側に)戻ってくることもなくなってしまう可能性があります。あるいはホシノちゃん、彼女が大切にしている「ユメ先輩との過去」も台無しにしてしまう可能性だってある。この一発勝負をあなたはできますか?

そこで。そこでです。
ブルーアーカイブの「先生」はどうするでしょうか。きっと「先生」なら勝負をするでしょう。そして勝負してきっと正解を引いて、物語は大団円を迎えるでしょう。
それが許せない。そんな簡単に、そんな簡単に人を救うってできないと・・・思うんですよ・・・。あまりにも強すぎる。世界に愛されている。ずるい。自分にも、私にもそういった力があれば、もっとたくさんの人を救うこともできたでしょう。自分ですら、救済できたと思います。憎しみがあるんですよ。私は「先生」に対して。理由は、理由は・・・自分は・・・「先生」みたいにはなれないから、です。嫉妬ですよね。あまりにも光属性過ぎる。私がブルアカの生徒だったら、「先生」に対しては関わりたくないと思ってしまうかもしれません。

〇タイトルについて


やっとタイトルについて触れます。ここまで前置きが長くなってしまいました・・・。
心の大部分を「ユメ先輩」にとらわれていると思われるホシノちゃん。
先述したように「折り合い」をつけるための救済の手を当てるのは難しいですよね。一発で膨大な数の地雷を避けて正解を引かなきゃいけないゲーム。
絶対にやらなきゃいけないと思いますか?いや、この「救済の手を差し伸べる」ということを「しない」といった選択肢もあると思っています。
でもストーリーの現状、何とかしなければならない瀬戸際の状態で。彼女の心の器は壊れテラー化もしてしまっています。何とかしなければならない、彼女を救わなければ世界も破滅してしまうかもしれない。
その中で「折り合い」をつけるための救済の手を差し伸べる無謀なゲームをする以外に選択があるとするならば・・・

ホシノちゃん、いや彼女を「介錯」してあげることが良いのかな・・・と思ってしまいます。「過去」にとらわれるというより「未来」を見て進むことができなくなった人を再び前を見て「未来」に向かって歩いていけるようにすることはとても、とても難しい事です。現実の世界だって、過去にとらわれ前向きになれず生きていっている人がたくさんいる。もちろんリアルでそのようなことをするのは「倫理上」許されないことであるし、私の立場としても絶対に「しちゃいけない」事として認識しています。Dr.キリコ先生ではありませんが、積極的安楽死などといった行為は少なくとも本邦では整備されていませんし、実際消極的安楽死でさえも判例があるからという内容ですし・・・ね・・・。
でもね、殺してあげること、トドメをさしてあげることで彼女は少なくとも考えることができなくなるわけですから、「過去」にとらわれることは無くなる。やっと、やっと「解放」されるんです。もちろんこれは最善の選択肢ではないことはよくわかっています。でも・・・自分が・・・私が先生だったら・・・それが・・・いやきっとそれ位しか・・・出来ないと思うんです。私はすべてを賭けて勝ち目の薄い勝負に出ることができない。それは自分の為とかそういうのもないわけではないけれど・・・彼女の・・・ことを考えて・・・彼女の大切にしている・・・「過去」を尊重して・・・。だから私が先生だったら彼女を殺すと思います。もちろん、勿論それは最後の選択肢で。できうる全力は尽くすだろうと思います。それというのももしかしたら、キーアイテムだろうと示唆されている「ユメ先輩の残した手帳」があるから。肩身のような手帳を見て、彼女がこちら側に「歩み寄ろう」としてくれれば、「折り合い」のつけやすさはぐっと上がります。むしろそれが私としては、私のできる最善の選択肢としては手帳でこっちに歩み寄って来てくれることを思うくらいで。
ユメ先輩の手帳でさえ通用しなければ、殺し彼女を開放することが、自分ができうる自分が考える最善の選択肢なのではないか・・・と考えてしまう自分がいます。
勿論、故人となったユメ先輩はそういう結末を望まないでしょう。
残された後輩たちも・・・そのようなことは望まないはずです。私が行きつくルートは、ダメなプレナパテス先生ですね。実際のストーリーよりも劣悪なプレナパテス先生になるルートをたどるでしょう。でも彼女を救ってあげる方法は・・・きっと私はだったら・・・それしかないのかもしれません。

私は先生が憎くて、憎くてうらやましいんですよね。早く助けてあげてほしい。ホシノちゃんの正解を見つけて、助けてあげてほしい。

長文となりましたが・・・駄文を・・・大変失礼いたしました・・・。
自分がいかにゆがみ切っている人間なのか、文章化すると改めて思いますね。

〇補足:シロコテラーちゃんの発言について


シロコテラーちゃん、満を持して登場ですね。
「私もこの苦しみは良く知ってる・・・」ってセリフありましたね。
つまるところ「あなたの気持ちは良ーくわかるよ」ってことですよね。
この「あなたの気持ちはよくわかる」ってのは鋭利な鋭利な鋭利なとんでもなく切っ先が鋭いナイフだと思っています。
分かるわけがないんですよ。人の気持ちを完全にわかることなんて無理。
あり得ないんです。だって人はそれぞれ違うもので。出自も、環境も、背景も、人間関係だってみな違う。ましてや感じ方といったもの一つとっても人によって違う。そもそも同じ人間じゃない。人はみな、誰かの人生を追体験できません。仮に追体験できたとしたって、同じ気持ちになるとは言い難いと思います。現実世界でも、創作の作品でも「あなたの気持ちはよく理解できるよ」って表現は往々にしてよく見かけますよね。

あれって人を傷つけませんか?少なくとも私は傷つけると思っています。
今回の場合でいえばユメ先輩との関係はホシノちゃんしか持ちえないもので。そのホシノちゃんが大切に大切に大切にしているかけがえのないユメ先輩との思い出としての宝物と同時に呪いを「分かるよ」って言ってくること。それがどれだけ・・・どれだけ・・・彼女を傷つけるか・・・分かったつもりになって・・・分かったつもりになって・・・助けようとしてくるんじゃ・・・ないですよ・・・それほど残酷に・・・無自覚に人を傷つけようなんて・・・
人は100%のすべてを理解できるものじゃないですよね、先述した通りのように。だからこそ相手を尊重したうえで、
「同じ気持ちを完全に分かり合うことは私はあなた、君とは違うからできないけれど・・・理解しようとして私が歩み寄ることはできるし、理解しようと努力することだってできる。」
こういう言い方があると思いませんか?私は普段日常でそういうケースに遭遇した場合、上記のような内容で人に話すようにしています・・・が・・・。
分かった気になって人を傷つけるなあって現行ストーリーの最後でちょっと思っちゃった補足というか追記といった内容でした・・・。

〇終わりに


ここまで読んでくれた方がいらっしゃったら、ありがとうございます。
かなり時間をかけて自分の中でモヤモヤ渦巻いていた気持ちを整理できたので、自分としては満足できました。もう少し出力して分かりやすくできたかもしれない・・・。いずれにせよ8000字近い文章になりました。やっと脳内が整理できた。この後が楽しみですね。ストーリー。どういった内容になるのかなあ。私が憎いと思ったままの「先生」でいてほしいなと思います。
「ヒーロー」であってくれ、「先生」・・・。

〇追記
書き忘れていたことがあったので補足として・・・。
「実は生きていた」みたいなパターンも考えたなあ・・・って思ったので・・・。
実はユメ先輩は生きていました、みたいなシチュエーションもまあすごくあってほしくはないんですが、あり得ないシチュエーションじゃないと思うので、ただそういうことになった時、よっぽどのっぴきならない事情でホシノちゃんに会えなかったあるいはコンタクトを取れなかったという内容じゃない限り梔子ユメちゃん、君は一生ホシノちゃんが嫌って言うまで傍にい続けてやれよな・・・って強く思いました・・・。
少なくともホシノちゃんより先に死ぬな、ホシノちゃんを看取ってから死を許可する・・・頼むぞ・・・そんなことにならないといいけど・・・



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