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「進撃の巨人」の「エレン・イェーガー」が最推しの理由とか(ネタバレあり)

エレンが好きです。
子ども時代のエレンも、訓練兵-調査兵団のエレンも、最終編のエレンも、全部好きです。最推し。推しなんです・・・。

その理由とか、思うところもいろいろ含めて話したいと思って記事を書きました。


〇エレン・イェーガー

「自由」であることに強い信念を抱く少年。調査兵団に入団し壁の外を探検するという「将来の夢」を抱いている。10歳の頃の巨人侵攻によって目の前で「母親が食われた」事によって「巨人を駆逐すること」に執着する・・・。強靭な勇気と行動力を備え、周囲の人間を引き付ける強い影響力を持つが直情的で猪突猛進なきらいがある。ただし何か突き抜けて非凡な能力があるわけではなく、持ち前の行動力と努力で訓練兵で5位となる・・・。

簡単にガキ時代のエレン君の概要を書き連ねてみたんですけど、「好き」の塊過ぎる。自分も割と「勇気と行動力」はある自信があるんですけど、そこも合わせて「エレン」が好き。こういう行動力がある主人公は「ほんっっっっっとうに」好きなんだ。このころのエレンって、「壁の外を探検すること」と「母親を喰らった巨人たちを駆逐しきること」の二つが原動力になっていたと思うんです。そして何より・・・その根底というか彼の気質には「自由」であることを強く求めてて。自分が「~~したい」、「~~になりたい」と思ったことについては・・・「そうなるべき」権利があると思っている節があって。
もちろん・・・無条件で与えられて欲しいといった傲慢な願いじゃなくて・・・、「~~したい」とか、「~~になりたい」って気持ちを【持つことすら許されない】不自由を許せない性質なんだろうなって思うんです。
「~~したいから」「~~になりたいから」って理由で何も自分はしないけど、与えろ!この不条理な世界!って叫ぶキャラじゃないんですよ。
あくまで「それを求める権利」が誰にでも平等に許されるという意味合いでの「自由」を求めていたキャラクターなんだろうと思います。一貫してエレンはそうだと思う。祈るだけで欲しいものをよこせとか、祈るだけでなりたいものにならせろって言う人間じゃない。まずなることがありうる・できうるかもしれない「可能性」が欲しいわけであって。事の成否については彼自身が「血のにじむ」努力してでも手に入れるはずって確信がある。そこがいいんですよ。

彼は「欲しいものは手に入れる」よう頑張れる子だと思うし、ただあの世界の理に「理不尽な」「望むことすら許されないこと」というものがあって。それが彼にとっては「許せなかった」モノなんだろうって思うんです。

〇怒りのエネルギーと、弱い自分への憎悪と怒り

駆逐することを誓うシーン

「怒り」のエネルギーってすさまじいんですよ。エレン・・・彼は壁外を見るまでは「この原動力」が根底にあったと思うんです。
この・・・怒りから来るエネルギーってものすごくって。人生を進めていくうえで「怒り」から来るエネルギーって使い方によってはすごい武器になるよなって思うんです。健全か不健全かでいえば不健全だとは思います。でも物は使いようですよね・・・、感情のコントロールはできたとしたって、「怒りの芽」をゼロにはできないわけで・・・。
ただ、怒りの対象を「他人」にするのは良くないと思う。非効率かどうかは分かりかねるんですけど、本人から買うヘイトだったり諸々考えると実質マイナスで損になると思います。
憎むべきは・・・「できない自分」だったり「存在しない何か」なんだと思うのです。
ちょっとでも今の物言いだと誤解がありそうで・・・あれなんですが、ここちょっと難しくて。
「できない自分」に対して怒り・憎悪を向けることって、向上につながるパターンが多いなって思っていて。自責思考・・・に似たようなものというか・・・出来ない自分に対しての怒りって結構向上すると思うんです。エレンも割と巨人に対しての憎悪と、できない自分への憎悪・怒りのシーンは多いです。
(弱いやつは泣くしかないのか・・・って涙流しながら自分にブチギレたり、割と自分に、弱い自分にキレてるシーン多い)。

逆に、「存在しない何か」に対して憎悪とか向けると・・・まあ存在しない何かって大体抽象的なもので、作品中で指すとすれば「世界」なんだろうなって思うんですよね。実際それも悪くないと思うんですけど、このパターンだと自身の成長につながることてあんまないなあって印象です。後はエレンはこの「世界」を憎むことを徹底的に嫌っているというか、弱い事の原因を他責することを極端に嫌っているというか・・・いわゆるエレンポイント・・・マイナス案件になるのだと思います。

話はそれてしまうのですが、ぶっちゃけた話、できない自分に「悔しくて」自分に対して「怒りや憎悪」が生じることって皆さん経験ありませんか?「~~できない自分が悔しい・・・」みたいな。そういった気持ちを持ち続けるのって大事かもしれへん!って思います

オモコロの永田副社長も「憧れで初めて、殺意で続ける」って言われていますし・・・。実際人生においての成功の秘訣のひとつとして、それがあるのかもしれません。人間くさい手段だと思うんですけど、そうなのだろうと思います。

エレンは総じて、人間くさいんですよ、すごーーーーーく。だからイイ。

〇閑話 (いつの世界だって)弱いやつは泣くしかないのか

巨人に人間を襲う本能(意志ともいう?)があり力の差で母は食われたわけで


そうだと思います。

本当は、この現代社会において・・・全員が全員「強さ」を求める必要はないと思うのです。だけど・・・どんなに文化的になったって所詮人間は・・・動物の一種なので・・・、どう頑張ったって、どう偉そうにしたって、本能には抗えない部分があって。結局そんないびつな世界で生きる私たちにも・・・本来なら弱くたっていい世界があってもいいと思うけど・・・「強い」という事はやっぱりこの世界でも・・・進撃の世界でも・・・「有利」な事なんだろうな、これは本質なのだろうなあって思うのです。

そして弱い自分を恨んで・・・泣きながら、みっともなく人前で泣きながら、自身の弱さを恨み憎悪するエレンが・・・凄い好きです

守りたいものがあるなら・・・弱いより・・・「強い」方が良いのは・・・いつだって変わらないなあって思います・・・。

〇壁の外の真実というか親父の記憶含めていろいろネタバレされるまでのエレン

あのクリスタの手にキスするまではホントに純粋に「自由」を求めることと、「巨人に対する憎悪」と「壁の外を探検する夢」だけで幸せだったね。って思います。
ネタバレされてからは・・・次の見出しで書きますが・・・。

真っすぐで、空気読めなくてでも影響力のあるいい子で、口だけじゃなく努力してて、主人公パワーというかまあ確かに巨人化能力はあるから一般モブじゃないけど・・・頑張る主人公は素敵で好きです。

マルロ君 うーんモブ顔!キャラクター大図鑑Wiki様より

巨人化能力なかったら、マルロみたいな末路だったんだろうなーって思います。マルロが訓練兵時代に巨人相手させられたみたいなIfシチュで。主人公補正があって、巨人化できたから良いけど・・・、巨人になることすらできなければ初陣で死んでたと思います。まあここは仕方ない・・・とも思います。主人公だから。だけど与えられた巨人化能力も他の知性アリ巨人に比べると序盤の特殊能力貧弱すぎて、勝敗でいうと負け越しすぎて無双漫画って感じがないから逆に凄い好感度高いです。むしろ初期は味方から巨人になるバケモン扱いされてむしろ巨人化能力はデバフみたいなもんだったり・・・
でも戦いを経ていく中で訓練兵時代に頑張った格闘技が活きたり、やっとこさ苦労して硬質化の能力を得たりして、やっていることは結構「王道な」主人公なんだなーって思い返すと思います。

〇ネタバレ後エレン 闇落ちするよね そして勇者適正メチャ低い

思い描いてた「壁の外の世界」は無いし(これが多分最もガッカリさせてる)、「巨人」の正体はアレ(同種族・ユミルの民)だし、「母親食わせた」の自分だし「外の世界」も戦争戦争戦争だらけの不自由な世界だし、エレンが望んでたというかモチベーションの根底にしてた要件全部「全否定」されちゃったよな、って思います。

そりゃああれだけやさぐれるよなって思います。しかも全部見えてるから・・・。

でもそれでも・・・いろいろ試行錯誤して・・・いろんな未来を見たのだろうと思うのです。そして悩みに悩んで、「絶滅すべきは俺たちの種族(ユミルの民)じゃないのか?」っていうクサヴァーとジークが二人で辿り着いた答えに「一人で辿り着いて」しまうんですよね。でもそれでも・・・それに「納得」できなくて。

人間くせ~~~~~~~~って思うんです。普通もっとこう、ある意味で漫画とかアニメの主人公であれば「仕方ない、絶滅を受け入れよう」みたいな答えとかに行きつく「自己犠牲」が出てくると思うんですよ。
「絶滅を受け入れる」ってのは極端ですけど、実際それに近い「譲歩案」を出すのがまあ妥協案かなあって・・・。


でもエレンは「自分が納得できない」からその答えを拒絶するわけです。 そこがすっっっっごい イイなって思ってて。VPでいうところの勇者適正があったら多分エレンすげーーーーーーー勇者適正低いと思う。ジークの方が勇者適正高そう。

例のシーン

あとライナー。ライナーって、正味な話マーレ側の「エレン」ポジションだと思うんです。ちょっと差異はあるけど、殆ど鑑写しみたいな存在で。
だからこそ「兵士」時代のライナーがエレンを気にかけていたんだろうなって思うのです。
あのライナーの「俺が悪かったんだよ」のシーン。あのシーンで実は・・・エレンはきっとライナーに「俺のせいだ」じゃなくて・・・ちょっとだけ「世界が悪いんだ」って言ってほしかったんだろうなと思うのです。でも・・・後述するけれど、言ってほしかったけど、言ってほしくなかったんだろうなって・・・。

精神的に強すぎたが強すぎても折れるときは折れるよな そりゃ・・・

エレンはライナーと同じで・・・、少なくともエレンはそう思っていて、だからこそ「お前と同じだよ」ってセリフがあって。
だからこそ・・・ライナーに「世界のせいだ」って言ってほしかったのかもしれない、ちょっとだけ・・・。でもライナーは「俺のせいだ!」って自身のやってきたことから逃げるのでなく向き合うことを決めた・・・わけで。ライナーのこの選択でエレンもまた「逃げの一手」を封じられたわけです。自分の気持ちを・・・「世界のせい」にできなくなったわけで・・・。でもちょっとエレンもライナーが思った通りの返答してくれて嬉しかったのかもしれない

自己解釈なんですが、エレンはライナーに「世界のせい」って言ってほしかった気持ち3割、「自分のせい」って言ってほしかった7割くらいの気持ちなのかもとも思います。
元から「世界のせい」にはできないつもりで、あの問答をしたのかなって思うのです。他責思考を極端にエレン・・・嫌う節がありますし・・・。

あそこでライナーが「世界のせいなんだよ俺のせいじゃない」って言ってたら、逆にもっと悲惨な未来があったかもしれません(戦槌食ったとき、ライナーの追撃でアギト奪還されたとき、諦めずにアギトの巨人を取り返して食ってただろうしライナーのこと見限ってたと思うし何ならライナーも食ってたかもしれない)。

ある意味で、ある意味でエレンにとって同じ立場・同じ考えの「ライナー」が最期までいてくれたからこそエレンはギリッギリ人間保ててた部分があるかもしれないなと思うのですだってこの世界で「同じ考え・同じ行動原理」の唯一とも言っていい人間だから・・・。観測する限りエレンの考えに近しい考えを持っているというか、エレンの信奉者はいたけど、同じ「気持ち」を持っていた可能性が高いのは「ライナー」しかいないんですよね。
そりゃあエレンポイントも爆上がりするわけですよね。

ライナーのこと見限ってたらもっと早く地ならしとか起こっていただろうし、人類は滅亡してたかもしれません。そう考えています。

〇エレンの「エゴ」

ココがすごい好きなんです。人間臭さ全開フルスロットルって感じが。
マーレに視察に来て・・・みんながみんな新天地でまだ見ぬ知らない文化に嬉々として触れる中・・・一人だけネタバレ喰らってかつ未来見えちゃってるエレンは一人で街に単独行動しにいっちゃうシーンで・・・。
スリの外国人の子を・・・これから全員殺すのに・・・って葛藤しながらも助けて。そして号泣しながら「話しかけてる相手のスリの子」には分からない言語でひたすら「謝り続ける」あのシーン

最高に好きなんです。なんでかって言うと・・・・・・・・・・・。

多分ここは恐らく・・・エレンも相手が「言葉が分からない」事を分かったうえで・・・本当に、本当に一方的なコミュニケーション(ボール投げつけるだけ)を取ったと思うのです。相手は何言ってるかわからないからこそ・・・誰にも言えない本心を・・・心の底からの心底からの「本音」をぶつけたんだと思うんです。

そしてその内容が、「ガッカリした」という事。ネタバレ喰らう前の・・・彼の行動原理でもあった「まだ見ぬ前人未到の壁外を自由に探検する」事、「母親を巨人に食われたことによる巨人への憎悪」、「自由を求めること」のうち・・・「前人未到の壁外世界が無かった」事にいっちばん心からショック受けてがっかりした!ってのがエレンにとっての「本当に心からの」本心なんだろうと思うのです。

もちろん「壁内人類を守る」とか「死んでいった人に報いる」とか、そういったまあ「奇麗ごと」みたいな意味もあると思うんですよ。

だけどそんなことより・・・何より・・・自分の気持ちに正直になった時に・・・「夢見てた世界と違った、前人未到の壁外の世界なんてなかった」事に対してあまりにも「ガッカリして」・・・だから、だからこそ「地ならししよ」って思った・・・って泣きながら吐露するシーンがね、すごい・・・好きなんです。

エゴ丸出しなんですよ。隠しもしない。

でも人間って・・・きれいごとで本音隠したがるけど・・・自分もそうですけど・・・、結局は「エゴ」が本質的に人を動かすものなんだろうなと思っていて
それを、まあ言語が分からないスリの子供相手に言ったのはアレだけど(だからこそライナー以下だって負い目もあったのかもしれない、ライナーはエレンに分かる言葉で懺悔したから)、エゴ全開丸出しの懺悔をしたのがとてもよくって。

主人公としてマジで「あるまじき」言動なんだけれど、でも往々にして私たち人間の「本質」もそうだよなって思ってて自分ももちろん例外でなくって

そういった「エゴ」まみれの後半エレンが、だからこそとても好きなんです。
大人になってちょっと瞳が濁っちゃったけど、それでもやっぱり人間臭さ全開のエレンが大好きです。

〇終わりに

エゴ丸出しで、「人は何をすることも、求めることも、なりたがることにも」その権利があるという意味での「自由」を求めていて、それに対しての努力を惜しまず、誰かのせいでなく、自身に常に帰着して自責しながらも耐え忍び、ボロボロ涙を流したり苦悩しながらも・・・前を向いて走り続ける、そんなエレンが大好きだって話でした。



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