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河童と言われた幼少期の話

今回は久しぶりにエッセイを。

河童と言われた幼少期とタイトルに書いたが、河童と呼ばれて友だちにいじめられたとか、川に落ちて上がってくる姿が河童に間違われた、などという話ではない。後者のエピソードなら人様に話をして笑いのひとつでも取れたのかもしれないが残念ながら私はガチの河童じゃない笑

幼少期と言っても小学6年生頃までだから小学生時代になるのだろうか?ともかく私は母親によく河童呼ばわりされていた。理由はただひとつ。アホほどキュウリが好きだったからである(ちなみに今でも変わらず好物だ)

小学生と言えば、何をしなくともお腹が空く年齢期である。口を開けば、「お腹すいたー」「なんかないー」と連呼する生き物だ。私も例に漏れず、お腹すいたと連呼し、何かないか冷蔵庫を開けては締めてを繰り返していた気がする。どうでもいいがそのことで「ねずみ小僧」とも呼ばれていた(こそっと食べ物を持ち出すから)

キュウリの話に戻そう。何故か私は子どもの頃からキュウリが大好きで、よくおやつ代わりに生のままかじっていた。たまに塩をふったりもするが、マヨネーズはダメだった。大人になってからはマヨネーズを使うことも増えたが、子どもの頃はマヨネーズが苦手だった。また話がそれたが、ともかくキュウリが好きでおやつにキュウリ、ご飯のときにもキュウリを食べてばかりいた。それで母がとうとう「アンタは河童みたいやなぁ」と言い出したのである。

当時は思わなかったが書きはじめると気になってくるのは、なぜ河童の好物はキュウリということになっているのだろうか。しかも私が河童ということはその親のアンタは親河童か?親子で河童なのか?河童はどうやって増えるんだ?どうでもいい疑問が湧いてくる。

どうでもいい話ついでにキュウリが好きだというと、必ずキュウリの栄養価について話をしてくるやつがいる。なんだ?栄養価原理主義者なのか?食べ物の選択の基準はすべて栄養なのか?とりあえずキュウリでも食べて落ち着けよ(お前もな)

どうもキュウリのことになると熱くなってしまう。

キュウリと言えば、二十代後半まで生で食べる方法しか知らなかった。それが冷や汁をはじめ、汁物に入れても美味しいことを知り、たまに味噌汁に入れて飲むようになった。時にはソテーにしても美味しい。同じウリ科だからだろうか。面倒くさいてやらないがすりおろしても美味しいと思う。

私は野菜全般が好きで中でもキュウリは三位以内に入るくらい好きだが、子どもから大人までわりと不人気なことも知っている。キュウリに関しては美味しいと思うが他人に強要してまで勧めようとは思わない。ただキュウリが栄養価がないから食べる意味ないとか言うやつは足の小指の先からキュウリ生えろ。

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