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蜻蛉の羽の話

こどもの頃、綺麗な羽を拾った。
虫の羽だ。

とんでもなく薄くって、力を込めずとも呆気なく割れてしまいそうなものだった。透き通った羽は虹色に光っていて、信じられないほど細かく緻密な網目模様をしていた。



それは、たぶん、とんぼの羽だった。(いや、もしかすると、蝉の羽だったのかもしれない。もうはっきりとは思い出せない)

ほんとうに綺麗で、日に透かしたり、目に近づけて向こう側を覗いてみたりと、しばらく飽きずに眺めていた。形も欠けがなく、実に美しいものだった。機械的なラインには見えないのに、緩やかなその曲線はたしかに完璧で、優美にすら見えた。




その美しい羽を、どうしても捨てられなかったこどものわたしは、どうやらそれを取っておくことにしたらしい。数年後の大掃除で、引き出しのなかの謎のティッシュを開いたら、羽が入っていて酷く驚いた。

時間が経っても、それは美しいままだった。折れてしまうことも、くすんでしまうこともなかった。あの日のわたしが見たままの姿で、そこに静かに眠っていた。

大掃除の時、いつものわたしは、どんどん物を手放していくのだが、その羽は簡単には捨てられなかった。
手のひらの上で、何の重みも持たないその羽は、少し握ればすぐに崩れてしまう。幼い自分が、幼いなりに大切にとっておいたその気持ちを、壊してしまうことができなかった。

何に使うこともできず、容易く触れることすらできない羽を、わたしはもう一度、きれいなティッシュに包み直してしまいこんだ。



あの羽の持ち主は、どんな色のとんぼだったんだろう。どこをどんなふうに飛んでいたんだろう。

すうっと目の前を横切って、夕日に輝く姿を想像する。やがて遠い空の群れに加わって、シルエットだけが浮かんでは、夜に消えていく。

顔を上げる。
とんぼはいつの間にか、星空に代わっている。
彼らは、どこにいってしまったんだろう。この羽を一枚残して。

 



それから毎年大掃除をして、その度に羽の存在に驚いて。見惚れては、大事に包み続けたその羽は、いつの間にか無くなっていた。

実家を離れて、一年以上が経つ。最後に掃除をしたとき、本以外の持ち物のほとんどを処分した。一度にたくさんの物を手放したけれど、そのときにはもう、あの美しい羽はなかったと思う。

いつかのわたしが捨ててしまったのか、ただ失くしてしまったのか。




その羽をふと思い出したのは、つい先日、手帳に1枚の葉っぱを貼っているときだった。映画の帰り道を歩いているときに、頭の上に落ちてきた、小さなオレンジ色の葉だ。機嫌よく歩いていたので、なんとなくそのまま、スマートフォンのケースに挟んで持ち帰ってしまったのだ。

裏にのりを貼って、手帳の余白に、映画の半券と並べて貼る。きっと数日で乾き切って、割れてしまうその葉っぱが、意味もなく美しく、愛おしかった。

拾ってきた葉っぱをこんなふうにとっておくなんて、なんだか子供っぽいかなあ、と考えて、とんぼの羽のことを思い出す。
幼いわたしと、今のわたし。身長も住む場所も変わったけれど、どうも、中身はあまり変わっていないらしい。


 

指先で摘んで日にかざした、きらきら光る虫の羽を、今でも覚えている。
大人からすればくだらない宝物を、ずっとずっと大切にしていたこと。その気持ちを、これからも覚えていたいな、と思う。




2022.7.12

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