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原木万紀子さん 「大学生のためのビジュアルリテラシー入門」 出版記念インタビュー

『大学生のためにビジュアルリテラシー入門』の刊行を記念して、著者の原木万紀子さん(埼玉県立大学 保健医療福祉学部 准教授)にインタビューを行いました。


ーー『大学生のためのビジュアルリテラシー入門』、スラスラ読めそうなタイトルですが、本を開いてみると読み応えがありますね。
原木:軽く書きたくない話題だったので、あえて小難しく書いています。カタカナの用語はいろんな意味が付加されて、本来とは違う意味で使われてしまうことも多いなと感じていて。それを防ぐためにも固い文章にしました。


ビジュアルリテラシーとは

ーーリテラシーという言葉はよく耳にしますが、"ビジュアルリテラシー"とはどのようなものでしょうか。
原木:簡単に言うと「ビジュアルを活用して情報を得る・発信する際のリテラシー」です。
私たちは、携帯・パソコン・テレビ等を通して日々多くのビジュアル情報に暴露しており、目から得る情報量が増加しています。ですがビジュアルを作成・改変する技術が発展・普及することで、その全てが“真実”の情報とは限らないという状況が日常的に発生するようになってきました。
例えば、フェイクニュースのような悪意あるビジュアル情報を、誰でも簡単に作成できるようになりました。また悪意がなくても、改変したビジュアルがインターネット上で一気に拡散され、誤った情報が広がることも少なくありません。そのため、「今対峙しているビジュアル情報が本当に正しいものなのか」をいかに吟味するかが重要です。
加えて、現在はSNS等の普及により、誰もが情報の発信者になりえます。そのため、いかにビジュアルを活用して情報を正しく発信できるか、という点も重要になってきます。この「ビジュアルを活用した情報の取得・伝達に係るリテラシー」のことを、米国の図書館協会(ALA)の定義に則って“ビジュアルリテラシー”と言います。
ーー近年のインターネットの拡大に伴って普及してきた印象があります。
原木:そうですね。ビジュアルリテラシーは元々、美術分野で言及されていた能力で、ビジュアル、すなわち作品を鑑賞し何を感じるのかをディスカッションしていく際の能力として言及されていました。その後、様々な分野へ広がり、それぞれの分野における"ビジュアルリテラシー"が発展したため、90年代や2000年代には定義自体が曖昧になってしまいました。2010年代に入り、包括的にビジュアルリテラシーを定義する必要があるとして、ALAが改めて枠組みを構築しました。2000年から2010年代にかけて爆発的にインターネットが普及した背景もあり、現代の状況を反映したリテラシーの一つではないかなと思います。

ビジュアルに潜む危険性

ーー現実を切り貼りした情報が発信され共有されることには危険も潜んでいますね。
原木:現在はスマートフォンのアプリやパソコンさえあれば誰でも簡単にビジュアルを切り貼りし、あたかも現実かのような世界を構築することが可能です。それ自体は“創作”という意味ではとても刺激的かもしれません。しかし、悪意を持って、あるいは悪意はなくとも元の情報を歪曲しかねない形で他者へ伝わってしまうと、大きな混乱が起きかねません。
大袈裟かもしれないですが、極端に言えば「ビジュアルを活用すれば誰もが世の中を震撼させる様な情報操作が可能」と言っても過言ではありません。そして、そのような情報を受け取る可能性が増している現代だからこそ、十分なビジュアル情報の吟味が、誤った情報取得の危険を回避することに繋がります。
ですが、本当に正しいビジュアル情報かどうかを1人で判断するのは難しいものです。目で見た情報から何を得たのか、何が不自然なのかをしっかりと周りと議論する土壌を作っていくことも、誤った情報取得の危険を回避する1つのポイントです。ビジュアル情報は言葉と違って“真に正しい解釈”が存在しないこともあるので、他者と議論することはとても重要です。本書でもその点に言及しています。


ーービジュアル情報が紛争や差別を助長してしまうこともあるのではないでしょうか。
原木:残念ながらそのような事態が起こっていると言っても過言ではありません。“プロパガンダ”はまさしくその一例です。また、記憶に新しい例では、世界中で大きな渦となった“Black Lives Matter”運動もビジュアル情報の影響を大きく受けた事象の一つとして挙げられます。
疑わしいとして警察に殺害された黒人男性の様子が写真や動画で拡散され、肌の色の違いによる差別を止めようと米国をはじめ多くの国々でデモが行われました。一方で、このような事件が起きる理由の一つには、これまで黒人をはじめとした有色人種がメディア等で差別的に描写されてきた(犯罪に手を染めている人々を特定の肌の色を持つ人として描くなど)という背景があります。幾度となくステレオタイプ的に表現されることで、知らず知らずのうちに私たちの潜在意識に入り込み、誤った解釈を生み出してしまう。この事例からはビジュアルが持つそうした課題も指摘することができます。
このビジュアルによって固定されたステレオタイプや潜在意識というものはとても厄介です。例えば、“男性だから・女性だから、日本人だから”といった大きな主語を用いる傾向をも助長しかねません。大きな主語で括って差別的な行動をとってしまう前に、自分はどのビジュアル情報に対してどういった潜在意識や固定観念を持っているのかを改めて理解しておく必要があります。そしてそのためにも、ビジュアル情報としっかりと向き合っていくという行為が求められると思っています。

正しさとの対峙

ーー私たちは日常的に情報を吟味し「正しいか間違っているか」という思考をしますが、芸術には必ず正解があるわけではないですね。
原木:先に述べた「ビジュアル情報は言葉と違って"真に正しい解釈"が存在しないこともある」に繋がりますが、特に芸術作品は「このような見方が正解!」という解釈が必ずあるとは限りません。ですが、人の数だけ感じ方や見方が存在しうるというのが面白い点です。多くの人は「白黒つけたい」「答えが欲しい」と思うかもしれませんが、答えがないことにも意味があるのではないかと私は思っています。
本書には盛り込めませんでしたが、答えが存在しないことに耐える能力を、“ネガティブケイパビリティ”と言うそうです。特に美術や芸術をはじめとした答えのない創作活動は、このケイパビリティを向上させるのに適していると言われています。創作活動では常に「何が完成なのか、何が作品の中での正解なのか」を自問自答する必要がありますからね。
一方で日常の場面では、白黒つけたいことが沢山あるのではないでしょうか。膨大な情報が蓄積されていく中で、迅速に答えを見つけたいという欲求は年々強まっているように感じますし、それに応えるために“まとめ情報”などが増えているのかなと思います。しかし、そうしたものが常に正しくまとめられているかは分かりませんし、やはりここでも情報を受け取る側がしっかりと吟味することが重要です。
「答えが欲しい」と思うことは人間のごく自然な反応です。しかし、答えが見つからないことに耐える…というと少し苦しく聞こえるかもしれませんが、答えが無いことを楽しみながら自分自身で模索していく行為も大事でしょうし、その経験がビジュアル情報を通しても可能だというのは面白いなと思います。

教育分野におけるビジュアル情報の活用

ーーICT教育が進む学校教育においても今後益々必要なスキルだと思います。教育現場でのビジュアルの活用について教えてください。
原木:特に理系科目において、分野全体の知識を理解するために、ビジュアルはとても重要な要素です。天気図や塩基配列がそうですね。ビジュアル情報そのものが基礎的な知識として埋め込まれていることも多く、理系だからこそ重要であるという指摘は論文等でも見られます。
なので「私は理系だからビジュアルリテラシーなんて関係ない」って思われる方の中にも、すでにある程度その能力を有している方も少なくないと思います。だからこそ、分野を超えてこの能力を活用していくことが新たなブレイクスルーをもたらすと考えられますし、実際にそのような見方が最近の研究で指摘されています。

ーー新しいものを生み出す可能性があるのですね。
原木:そう捉えるとワクワクするのではないでしょうか。答えがないということは、人の数だけ見方が存在するということと同義で、その見方には個人の経験やフィルターが大きく影響します。今まで考えもしなかった視点同士が繋がることもあるでしょう。そのような繋がりが新しい創造性を生む可能性があることが指摘されているのです。特に、個人の中での小さな発見や視点の繋がりがその後の創造的な活動へ導くための芽となっていくため、いかにして個人の発見を見逃さず、教育の現場で掬い上げていくかが重要だという研究もあります。具体的な手法は個人の特性や環境によって異なると思いますが、今後より知見が蓄積し現場での知識の活用が活発になれば良いなと思っています。

情報の裏側へ

ーー「見えているものの裏側」への想像力は、今後最も必要とされるのではないでしょうか。
原木:そうですね、ビジュアルリテラシーは「目で見える情報に対するリテラシー」ですが、同時に、"見えるもの"から離れて裏側を想像することも必要とされているなと感じます。見て受け取った情報をどう解釈するのか、いつもとは違う解釈をしてみる、などですね。
でもいざ裏側を見よう!と思っても、潜在意識や固定観念が邪魔して新しい視点が見つけ出せないこともあると思います。そんな時こそ他者、特に専門や趣味といった文化的背景が離れた人とのディスカッションが、裏側を覗き見るためのヒントになると感じます。積極的に他者と話す機会を得るのがなかなか難しい昨今ですが、裏側を覗き見ることで新たな発見やひらめきにどんどん繋げていける可能性を秘めているのも、ビジュアルリテラシーの面白いところかと思います。

ビジュアル情報を言葉で描写する力
原木:ビジュアルリテラシーは視覚が問題なく機能している人だけの能力ではありません。ビジュアルリテラシーを鍛えることは、目の前にあるビジュアル情報から何を受け取ったのか、それを言葉によって描写することへと繋がっていきます。裏側を覗いたり、他者とディスカッションすることで、一つのビジュアル情報に対しても複数の視点、描写の方法を受け取ることができるでしょう。言葉による描写が豊かになればなるほど、実際にそのビジュアルを見ることがなくても、一つの対象から多角的な情報を得ることが可能になります。
ビジュアルリテラシーを鍛えることは、実際にビジュアルを見ることができない環境にある人や、視力に課題がある人たちにとっても、世界そのものの捉え方を豊かにするための一つの手段であると感じています。世界を描写する言葉が増えれば、世界に対する受け取り方は必ず豊かになりますしね。


ーーありがとうございました、最後これから大学生になる方、そして今大学生の方にメッセージをお願いします。

原木:さまざまな分野のことを学ぶ中で多くのビジュアル情報と出会うことがあるかと思います。目の前に見えるものを自分の言葉で描写する、言葉で言うと簡単ですが結構難しいもので、是非、自身の言葉と表現を通して大学内の多くの学生、教員とコミュニケーションをとっていただけると嬉しいなと思う限りです。
何かビジュアルから情報を受け取ることに疑問等を感じた際には、この本を手に取っていただけると幸いです。


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