フジロックだ〜!
フジロック、始まりましたね。
俺は一度も行ったことないので、まだ本物を知らないし、今回もYouTubeで画面越しに見ているだけだ。
ただ、それだけでも十分に伝わるアーティストたちの想いがある。
コロナに抑圧され長い間演奏できなかった喜びや、それでも感じてしまう恐怖や、感染に対する責任。4月にライブをできた時の自分達に重ねてしまう。規模が全然違う事など、分かりきってる。それでも、アーティストが感じる想いのカケラを自分も感じていた。
アーティストだけでなく、それを支えてここまでたどり着いた全てのスタッフが、どれだけの意思を持ってその場に立っていることだろうか。
直前になり、折坂くんは出演を辞退した。その発表には、俺には推しはかりきれない思いが文となって分かりやすく述べられていた。そして、数日前にはマヒトくんが書いたコラムに、折坂くんがマヒトくんにどう考えているかを尋ねるメールが来ていたことが述べられていた。誰が誰を責めても仕方ない。ステージに乗ることとは自分の責任で人の命を危険に晒す行為をすることじゃないと言いきれないこの状況では、何も正解はない。今回に限ったことではないが、誰もこの状況でのこのような判断を責めてはいけない。1人で背負い込む責任にしてはあまりに凶悪で巨大すぎると思う。
重たい話を一度脇に置いて、今日見ることのできた演奏を少し振り返りたいと思う。
朝一番、グリーンステージトップバッターはOKAMOTO’Sだった。彼らは10年ぶりの出演で、以前のステージはレッドマーキーだった。配信は約4万人も見ていた。正直、これほど多くの人が見るバンドだと想いもしてなかったので、マジでビックリした。自分の好きなバンドって、なかなか人気具合がわかりづらいもんだ。セトリはこんな感じ
・NO MORE MUSIC (リハ)
・Dance to Moonlight (リハ)
・Border Line
・Picasso
・Welcome My Friend
・Misty
・Sprite(新曲)
・Beek
・Lagoon
・Young Japanese
・BROTHER
・ROCKY
・90'S TOKYO BOYS
Beek〜90’Sまでの流れ、爆発するかと思った。正直、最初にBorder Line始まって、やや不安定な演奏のように聞こえてたのだが、中盤からガッチリ噛み合い、新曲のSpriteあたりからはもう、神がかったステージだった。ここ一年くらいで3.4回OKAMOTO’Sを見ている(オンラインライブ含め)けど、今回のこのパートは大爆発してた。ショウさんのフロントマンとしての矜持を見た気がする。これを見ることができた人は幸せモンだ。
Lagoonのギターソロ、大抵4周なのだが、今回は音源通り6周してた。音源通りなのは尺だけで、まあ、キーコーちゃんのギター、大爆発。ただえさえ最近は演奏してなかったこの曲に興奮冷めやらぬ人をTwitterでたくさん見かけた。俺ももちろんその1人。俺はまだ生でこの曲を聞けておらず、コンプレックスになっている。本当にこの曲のサイケ感というか、どんどん空間が虹色付いていくような流れが大好きすぎるので、今後ライブで見ることができたらいいな。
続いてTempalay。バイトで最後の方しか見れなかったのだが、小原さん、歌うますぎる。ライブに行ったこともないし碌に映像も見たことなかったのだが、度肝を抜かれた。高木祥太くんを見ようと思って見始めたけど、バンドとして大満足できた。
そして、millenium parade。家でヘッドホンをつけて、部屋の明かりを落として見た。このバンドもライブを見たことはなかったが、いや〜、今回参戦しなくてよかったな、という感想にしか至らない。現地にいれば、声を出さずにいることはできなかっただろうな。酒があれば走り回っていただろう。ヤバすぎる。明らかな語彙不足だけど。ヤバいバンドってことは知ってたけど、俺の想像力、全然足りてなかった。常田大希はまるで指揮者かのように、観客に背を向けて演奏していた。
このバンドで1番キラキラしてたのはサックス、ギター等を担当しているMELRAW。サックスうますぎるし、それ以上にギタリストとしての腕前がすごい。バンドのキーパーソンだろ…と思った。以前父親が、「サックスは普通のロックにもプログレにもよく合う。空間を押し広げて幻想を生む」とか、よくわからんことを言っていたのを思い出した。納得した。たしかにキングクリムゾンとかのこと考えれば妥当だな、と。そして、サックスにエフェクターかけるの、すごい好みだ。特にオクターバー。一気に空間が広げる。音の層を押し広げて、その下で他の楽器が動き回れるようになるんだなあ。
そしてツインドラムの迫力。やっぱり音楽にはタイトさが必要と同時に、ズレがあることで音の厚みとか、リズムの癖が生まれる。ドラムはリズムを担うパートであるから、そのパートが二つ動けば、より大きな癖を生んで、曲に強い脈を打たせる。石若さんも、勢喜遊さんも、お互い芯がある中、わざと曲のリズムにズレを与えて、そしてその二者間のずれもあることでカオティックな雰囲気に仕上がっていた。
まあこんなバンドがうれるのか、と思うとかつてレディヘやピンクフロイドがバンドの頂点だったことが理解できた。違うかな。
久しぶりに柄にもなく無知なりに音楽を語ってしまった。酔っ払ってないとこんな文章書けないね。
明日明後日とまだ2日ある。アーティストの無責任な者への怒り、演奏できる喜び、全てがごちゃ混ぜになった感情の乗った演奏をあと2日浴びることができる。これ以上狂った世界になるには、戦争が始まるくらいしか残されていないほど醜く狂った世界情勢の中に咲く音楽の幻想をもっともっと見させておくれ。
そして、どれだけの人が音楽を求めているのかを政府は理解して、過剰な抑圧を止めてほしいなぁ。
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