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毎日下山

3月にサークルから追い出された。卒業。
その時、GEZANのコピーをやった。

いまだにその時の動画を毎日見ている。心がそこから離れていかない。

自分は魂がサークルの会室に置き去りにされている。
先月の半ばまで寮生活で、音楽ができなかった。
音を出せる部屋に帰ってきて、暇な時間があればベースを弾いて、懐かしんでいる。バンドをやろうと思っているが、中々勘が鈍っている。まだ曲を作れるような腕もないから、一年は磨こうと、バンドを組もうと言ってくれた奴にいわれた。

何年も前からわかっていたことだが、自分は過去に縋り付いて生きている。怖い。だが、その過去に支えられている。それがいつも自分に勇気をくれる。

今、普通に働きに出ているが、働いている間、何も考えていない。まるで記憶域が丸っと差し替えられているよう。家に着くと、いつもの自分になる。

今日も東京の動くおじさんボックスに揺られて通勤した。友人が電車をこんなふうに揶揄していた。
あれは狂っている。あれに1時間も2時間も毎日割いていることが本当に馬鹿馬鹿しい。
今日は背中合わせになったおじさんとお尻がずっと密着していて、気が触れそうになった。相手のおじさんも嫌だろうが、あんなことを毎日やってたら精神が削れ切ってしまう。

話を戻して。
3月のGEZANは、本当に生きていた。大学の、今まで生きてきた自分の姿を残せたと思う。
いつも言っているが、卒業という時限爆弾を抱えている奴らは眩しくて、儚くて、美しい。それが当たり前だ。爆発するんだから。
だが、だからこそ、そこにある美し化を真正面から表現することは勇気がいる。ダサいと受け取る人もいる中で、そんなの知ったこっちゃないとやることの力強さ。自分も少しはあったんだなあと思う。そこにに向き合うために足りなかった力は、GEZANに借りた。

自分とボーカルの同期は、他じゃ使わないような高い機材をわざわざ一回のライブのために買った。ディジュリドゥとルーパー。それすらも使いこなしてのあのステージよ。

後輩や同期が顔をくしゃくしゃにして泣いていたやつ、立ち尽くして泣いていたやつ、自分で感じるままに腕を上げてくれたやつ、終わった後にどうしてあんなにかっこいいのに何にもならないの、と言っていたやつ、演奏を見て壊れてしまったやつ。まあ、別に大丈夫な壊れ方だったけど。色んなやつがいた。

あの景色は、今まで生きてきて見たことがなかった。おかげでこれから自分が生きるため、前に進むために振り返ることができる。今日もAmbient Redを聴く。

近々ライブをやろうと思う。今まではサークルでやってたけど、そんなの関係なく。同期は社会に出た奴も多い。久しぶりにみんなで顔を突き合わせて、音を出せることを信じて明日も電車に乗る。

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