他の価値観を認められないとき、の前置き(まだ認められないのだ)
割と僕も、
記事に書く「その通り」の人間だ。
そうしたくないのに、していたり
僕はこうなりたくないと、考えれば考えるほどにそうなっていたり。いまも直面している。ずっと考えていたが、僕も他の価値観を認められないところがあって、なんとかしたい。でも、そう考えれば考えるほどに泥沼にハマる。いままさに抜け出せない。僕にはない価値観を認めたいのに、認められない。認められない自分が幼く感じて辛くなる。
そしてまた自分を責めて、責めた分だけまた自分を正当化したくなる。こじらせる一歩手前だ。
僕はとにかく自分にない価値観を、漫画の主人公のように尊敬したいと思う。
強者相手にすげーとか、かっこいいーとか。
現実で悪口言わずになんにでも尊敬するよ!どんなふうに君は頑張ってるの?って
本当に心の奥底から純粋にできてる人ってたくさんいるのだろうか。それともそれが普通なのだろうか。出来ない方がおかしいのだろうか。
僕は結構人を見てると、人間って悪口ばっかり言ってるんだな、と思う。これは僕が見てる環境だけだろうか。僕の見てる世界だけ変なのだろうか。
僕は単にもっと前向きに、いろんな人の良いところを吸収して、のような世界をみてないだけだろうか。底辺にいるだけなのだろうか。
見えないところで悪口言ってるんだろうな、と思っている僕がおかしいのだろうか。世界って、本当の本当の本当はどうなってるんだろうか。
僕は最近、とにかく周りを認めたいし、自分にはない価値観を積極的に良い方向に吸収したいし、悪口はいいたくないし、人の良い面だけみていたい。
人の良い面だけみて、ほめて、尊敬してるって僕がなにより安定する。腹黒いが、僕は僕の心を乱さないために悪口や面白くないことを言いたくないのだ。でも、これは意図してやるものではない。
前書いた、自分のために他人と関わるのが嫌だなと思うよつに、心の奥底から他の人の悪い面はスルーして良い面だけ見ていれるようにしたいのだ。
最近僕は悪口を持ちかけられても、なんとかスルーできるような言い換えを心がけている。プラスに変えれるように言い換えるのだ。
ただ、そうやって悪口を避けるのは出来ても、自分がどうしても納得いかない価値観には弱い。自分にはあり得ない価値観。これをいかに許すか。僕は僕を問われている。
僕が頼るのは仏教の教えだが、今の問題は許せない人をどうやって許すか、だ。
すこしでもはやく許し、安定した心にしていきたい。
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