見出し画像

不幸=幸せ?

昨日のバイト終わり、みんなでたくさん他愛のない話をしました。まだ10回ほどしか出勤していないのに皆さんが(多分)温かく迎え入れてくださって、人が多い分たくさんの視点から話を聞くことができるし、違うバックグラウンドを持っているからこそ新しい価値観を発見することができるので、私はその時間がすごく好きです。                      

上京してから始めたバイト(塾講師・居酒屋)が奇跡的に?たまたま?同世代が圧倒的に少ない職場だったので、「バイト終わりにみんなで適当にくっちゃべる」みたいなバイトあるあるが全くありませんでした。だから余計に素敵だなあ楽しいなあと感じるのかもしれません。そもそもバイト先のみなさんがいい人である上にコミュニケーション能力が高いからというのもあるかも…。

とにかく、朝11時起床の私が、母が実家から送ってくれた徳用チョコブラウニーを頬張り、好きな音楽を聴きながら「昨日も楽しく働けて美味しいものも食べれて充実した日を過ごせたなあ」と振り返っている次第です。(情報量)

そんな私のTMIは置いておいて、今日は題名の「不幸=幸せ?」について少し書いてみようかなと思います。

あ、ちなみに"TMI"っていうのは"Too Much Information"の略で、「どうでもいい話」みたいな意味です。K-POP界で流行った略語です。「おいおい、韓国かぶれじゃん^^」って思ったそこのあなた、正解です。…かぶれてるつもりはないけどなーんか使いたくなるんですよね、推しが使っている言葉って。また推しについては特大番外編として書こうと思います。(需要無)

ごめんなさい、話が逸れまくりました。ただ今戻りました。「不幸=幸せ?」についてです。

なんでみんな人の不幸話ではめちゃくちゃ盛り上がるのに幸せな話ではこんなに盛り上がらないんだろうね?

これは昨日みんなで話をしている時に一人の方が言った言葉です。まあニュアンスなので一言一句このように言っていたわけではないですが、これを聞いた時に少しハッとしました。この言葉だけ切り取ったら普通に最低人間ですよね、ていうか切り取らなくてもあまりよくはない。

先に言っておくと、「不幸=幸せ?」に対する私の答えはありません。厳密に言えば「人の不幸=幸せ?」ですね。

いやいや、こんなのYesって言えるわけがないでしょう。私の道徳観的に無理です。おそらくほとんどの方もそう答えると(勝手に)思っています。「人の不幸=幸せ?」と聞かれて「はい」と答えるの普通に難易度高すぎます。

だけれど、実際に人の不幸話や失敗話、ゴシップで話がめちゃくちゃに盛り上がるのは事実であって…。それが職業にまでなってしまっているし、人間の本能的にそういう感性があるんですかね?人間怖いです。

かといって「不幸話で盛り上がるなんて、、!」という良心をはたらかせて幸せな話しかしなかったりすると、人間は自分勝手な生き物なので、嫉妬心が発生して「何あの人」とか言われたりする(偏見)

こうやって想像で状況パターンを考えた時に、自己防衛のために自然に不幸話をしてしまうし、それで盛り上がってしまうこともあり得るのかなあなんて思ったりしました。いま。

ということで未熟な私が「不幸=幸せ?」について自分なりに少し分解してみました。ていうか、私の持論ではありますが、そもそも「幸せ」を知らないと「不幸」の概念は発生しないわけなので、不幸話とか失敗話があって、それで盛り上がれるということはみんなそれなりに幸せに生活できているのかな…と少しホッコリしちゃいました。

たしかにゴシップや失敗話は盛り上がります、面白いです認めます。ただそれが人を傷付けてしまう結果にならないようにだけはしないといけませんね。

あ、私は幸せ話大好きなのでみなさんの幸せ話、たくさん聞かせてください。ちなみに、私の最近の幸せ話は2年ぶりに母の誕生日を直接お祝いできることです。母は偉大です。

では、今回はここまでにします。ここまで読んでくださってありがとうございます!今日も1日頑張りましょう!!!!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?