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おしゃぶりを卒業した日

4歳長男は、よく泣く子だった。
生まれてすぐの入院中、新生児室から聞こえる赤ちゃんの泣き声。
数日前に出産したばかりのお母さんたちは、泣き声が聞こえると皆「うちの子かな?」と思うようで、揃って病室から見に行ってみると、泣いているのは必ずうちの子だった。
退院して自宅に帰っても、やっぱりよく泣く子だった。
そして、寝ない子だった。

たまひよとか何かでよく見かける新生児の1日のスケジュール、その「睡眠」という項目をそのまま「ギャン泣き」に変更したような様子だった。
ギャーッギャーッと泣き続けているうちに次の授乳の時間になってしまって、この子はこんなに眠らなくて大丈夫なのか、と不安になったけれど、かかっていた病院の先生によれば、睡眠不足になる赤ちゃんというのは存在しないそうだ。
わたしの腕の中で反り返りながらギャーギャー泣く。
あまりに目をギュッと瞑って泣いているので、この子は泣いている時間を睡眠にカウントできるタイプの赤ちゃんなのかしら、と、産後のふぬけた脳みそでぼんやり思った。
1ヶ月健診のとき、あまりに泣いている長男を見て、看護師さんが「どこか悪いのではないか」心配したほどだったから、我が子ゆえにそう感じると言うレベルは越えていたのではないかと思う。

細切れ睡眠をトータルで4時間半。
どんなに家事の手を抜こうが、自分のことを後回しにしようが、わたしが1日にそれ以上眠れることはなかった。
疲れ果てた頭に、ふっと、魔女の宅急便のオソノさんのセリフがよみがえる。
「困ったねえ。これがないとあの子、大泣きするんだよ。」
そうだ、おしゃぶりってどうだろう。

さっそくネットでおしゃぶりを検索してみる。
どこのメーカーもそれぞれ特徴があって、形もさまざま。中にはこれがおしゃぶりなの?と思うようなスタイリッシュなものもあった。
使っていた哺乳瓶と同じメーカーのものを見てみると、パッケージには「入眠をサポート」と書いてある。
これにしよう。
翌日に届く在庫があったのはピンクだけで、花の模様がわたし好みだった。
Sサイズを選んで注文した。

不安とインターネットの組み合わせとは怖いもので、検索しはじめると果てしなく情報が出てくる。
おしゃぶりを使うと歯並びが悪くなるとか発達によくないとか、愛情不足になるという記事も見かけた。
おしゃぶりを使うことが正解なのかどうか自信のないまま、届いたおしゃぶりを開封して消毒する。
授乳が終わったタイミングでまた泣き出す長男の唇に、ちょんちょんとおしゃぶりを当ててみた。
すると、口を開けてパクッとおしゃぶりをくわえモグモグし、チュパチュパと音を立て始めた。
「・・・かわいい。」
大音量で泣き続ける長男を抱っこし続ける日々に、長男のことを単純に可愛いと思えなくなっていたころだった。
限界だった。今思えば。

よっぽどおしゃぶりが気に入ったのか、くわえさせたまま抱っこでゆらゆらしていると、そのまま抱っこ紐の中で眠ってくれる日も増えた。
夫婦で「かわいいねえ、かわいいねえ」と長男を見つめる時間。
出産してからこれまで、不安と心配と睡眠不足で、こんな優しい気持ちになれていなかったことに気付く。
これがうちにはあっているのかも、と思った。

歯が生え始めて、おしゃぶりを噛むようになった。
亀裂が入ってしまったり、先が千切れてしまったり。
何度も同じSサイズを注文しては、我ながら絶妙なタイミングで新品に交換する。
おしゃぶりを使うことに相変わらず自信はなく、虫歯になるのでは、コミュニケーション不足になるのでは、と気にしてみては、おしゃぶりのことを「ぴ!」と言ってもぐもぐチュパチュパしている顔をみると、これでいい、と思ったり。
街では知らない人におしゃぶりのデメリットを指摘されて落ち込んだりもした。
専用のクリップで服の胸のところにつけたおしゃぶりは、もはや長男のトレードマークになっていた。
そうして1年ほど経ったころ、わたしは次男を妊娠した。

2人目にもなると、だいたいどの家庭も出産準備は適当になる(と思いたい)。
だけど、おしゃぶりだけは絶対に忘れないように、と夫と何度も確認し合った。
わたしが選んだのは、ネコちゃんのイラストがついたミントグリーンのおしゃぶり。
これを咥えてもぐもぐする口元を想像すると頬が緩んでしまう。

予定日よりちょっと前に生まれた次男は呼吸が弱かったので、少しの間NICUでお世話になった。
やっと退院してお家に迎えたその日。
フンギャーフンギャーと泣く次男に、わたしと夫は満を辞しておしゃぶりをくわえさせる。
すると、口からぷいっと吐き出す次男。
偶然かと思いもう一度。
何度やっても同じことだった。
あんなに悩んだりしたのに、嫌いな子もいるなんて。
わたしも夫も拍子抜けし、その日から、そのおしゃぶりはただのおもちゃになった。  

長男のおしゃぶり卒業は突然やってきた。
1歳半を過ぎた頃から、「おしゃぶり いつまで」「おしゃぶり 卒業」と検索してはいろんな家族の体験談、先生や助産師を名乗る人のアドバイスを読んでいたわたしは、おしゃぶりの卒業には血が滲むような努力が必要なんだと思っていたので、妊娠後期から産後の身体が思い通り動かない時期に、"卒おしゃぶり"に挑めないでいた。
発達が遅く、まだ言葉がほとんど出ないのはおしゃぶりのせいだろうか、と思ったりはするものの、数少ない言葉のなかで「ママ」「パパ」と並んでおしゃぶりのことを「ぴ!」と呼ぶのは、よっぽどおしゃぶりが長男にとっての大切なものなんだろうから、もう少しこのまま続けさせてあげたいとも思った。

2歳2ヶ月になったある日、またおしゃぶりの先がちぎれた。
いつもなら、機嫌を損ねないようにささっと新品のおしゃぶりに交換するのに、なぜだかその日は「おしゃぶり、壊れちゃったね。」と口から漏れた。
言葉もほとんど出ていないのに、伝わるわけはないだろうと独り言のつもりだったのに、長男はおしゃぶりを見たまま、こくん、とうなずく。
そしてそのまま遊び始めた。
その夜、眠る前におしゃぶりを探して「ぴ!」と言う長男。
「おしゃぶり、壊れちゃったよね。」というと、また、こくんとうなずき、わたしの手を持って自分の背中に当てた。
ゆっくりと背中をトントンしてあげているうちに、すうすうと寝息を立て始めた。
おしゃぶりなしで眠れた最初の夜だった。
翌日、おしゃぶりを持たずに散歩に出掛けてみると、おしゃぶりがないことに気がついた長男は「ぴ!」と自分の胸のところを指差した。
「おしゃぶり壊れちゃったよね。」
こくん、とうなずく。
それから長男がおしゃぶりを使うことはなかった。
彼の中で何か、理解したんだろうか。納得できたんだろうか。
これが成長というものか。

あんなに大好きで片時も離せなかったおしゃぶりを、もう欲しがらない日が来るなんて。
"卒おしゃぶり"について相談したとき、夫が「好きなのに、卒業することなんてない。大人になったって、おしゃぶりしてればいい。」と言ったことがある。
その時は、乱暴な言い方するなあ、なんて思ったけれど、好きなことを好きなだけ、気が済むまでやり続けられることは今の世の中、当たり前ではないことに気付く。
周りの目だったり、お金だったり、溢れている情報に晒されて、それでもやり通せるのは、そういう環境があったとか、気持ちの強さとか、もしかしたら才能とか。
惰性で続けるのではなく、強い気持ちを持って自分を貫きたいことがあるのなら、わたしは味方になってあげたい。
悩んだり壁にぶつかったら、打ち明けてもらるような存在でいたい。
頼りないわたしでも一緒に悩むくらいはできるかもしれない。
納得して好きなものを卒業すると決めたなら、よろこんで見送りたい。

そんなことを思いながら、今もときどき夫とおしゃぶりをもぐもぐする長男の動画を見て、「かわいいねえ、かわいいねえ」と笑い合う。
おしゃぶりのせいで歯並びが悪くなったかどうか、愛情が不足していたかどうか、今でも分からない。
この春、年中さんになる長男は園までの少し長い道のりを自分で歩けるようになった。
下のクラスのお友達の手を引いてお散歩に行くのが楽しみだそうだ。

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