私の人生

やり取りする中で、自分がうつを発症した原因が、もう一つある事に気付きました。

それは、学校によるハラスメントです。

私がいた高校では、授業の進め方が常軌を逸していました。

特に英語と数学で、まだ説明すら受けていない単元を、先に自宅で自力で解いてこい、翻訳してこいと。

で、次の授業で生徒番号順に当てて答えさせ、教師は答え合わせをするだけです。その解説も、ものすごい早口で、一方的に喋って終わりです。

問題が解けていないことが分かると、恥をかかされる仕組みになっていました。

このパワハラじみた指導方針を、学校の多くの先生がまるで良い事のように支持していました。

担任は面談で「どうや!授業速いやろ?分からんやろ?」と、まるで良いことのように自慢していました。

多くの教師が、生徒に適切な指導をして成長させる事よりも、授業を悪用して、全生徒に嫌がらせをすることに情熱を注いていました。

私はこのプレッシャーに毎日心身をすり減らしていました。

そして高二の半ばにパニック症状を起こして救急車で運ばれて、そのあとはうつ症状が続きました。


その前後に、定期異動で校長が交代しました。

新しいA校長はもともと社会科の教師で、郷土史にも明るく、いくつかの著書を出版している研究者であり、県教委の要職を務めた人でした。

全校集会での話ぶりを聞く限り、珍しくマトモな人のようでした。

母があるトラブルで県教委に苦情を入れたさい、「A校長は話が通じると思うので、まずそちらに相談してください。それでダメなら教委で対応します」と言われた程でした。

が、狂った教師が多い学校の中で、その校長は逆に「変わり者」扱いされて孤立していきました。

ストレスが重なったのか、A校長は赴任約一年で、勤務中に脳内出血で倒れて亡くなりました。

マトモな人が殺される、そういう環境でした。


あの時あの学校の異常性を確信して、抗議するなり転校するなりしていれば、自分の心はギリギリ守れたのではないか。そう後悔することが度々有ります。

が、当時の私にはその選択肢が与えられていませんでした。

学校の方針がおかしい、という理由で退学や転校するなど、高校側がメンツにかけて妨害したでしょう。

また、親戚と張り合うためにあの高校〜自称進学高に私を入れた母が、そんなことを許すはずがありませんでした。

私には逃げ道が無かったのです。


A校長が亡くなった直後の学校だよりを読んで、私は驚きました。

PTA会長が、A校長について「もともと個性的な方だと思っていたが」という感じのイヤミを堂々と書いていたのです。

公式の文書で、亡くなったばかりの故人の悪口を書くという最低の行為。そんな奴がPTA会長。

教員も同級生も保護者も常軌を逸している。そんな環境が、誰にも摘発されずに存続して動いている。

こんな事があり得るのか、と思いました。


高校の非常識な指導のせいで、うつを発症した。

私はこれで訴訟でも起こしてやりたいぐらいですが、年月が経ち過ぎました。

あまりに陰湿かつ巧妙な暴力行為を受け続けたため、原因に気づくのに今日まで掛かってしまいました。

私はこれからどうやって、自分を取り戻せば良いのでしょうか、、、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?