私の人生

(カウンセラー交代)

相談内容

4歳の時DVで両親が離婚
母子家庭生活保護
母による心理的虐待
(小学校への登校を禁じられるなど)
中学入るが、周囲が不良ばかり
高三まで同級生にありとあらゆる嫌がらせを受ける(刃物で脅すなど)
大学入るが神経症になり中退
親に嫌われて実家を追い出される
非正規の仕事を転々
3社目でうつ病悪化通院
縁あって結婚して子供3歳
5社目でうつが悪化して退職
自宅療養5ヶ月目
↑今ここ

過去に受けた嫌がらせがよくフラッシュバックします。その時は、完璧にやり返すことができなかった自分に対する怒りと後悔が湧いてきます。

母親への恨み
同級生への怒り
自分の人生が失敗した事への後悔

これらをどのように軽くすれば良いか聞きたいのです。

早速ですが、ご質問の点についてお答えしたいと思います。

長くなりますが、ご容赦ください、、、

○相当今までエネルギーを使って生き延びてこられたのではないでしょうか。

>ありがとうございます。今まで直接相談をしてきたお医者さんやカウンセラーの方は、私の体験談を聞くと内容に絶句し、そこに触れずに話をそらすパターンがほとんどでしたので、このような共感のお言葉をいただくと嬉しい限りです。

一体どのようにして、どのような気持ちでこれまでの間、耐えてこられたのでしょうか。

>そうですね、、正確に思い出すのは難しいですが、その瞬間瞬間の問題にひたすら対処していたように思います。
私の経験上、多くの人間は表面を繕っているものの、本性は支離滅裂で凶暴だったので、私は全ての人間・トラブルが恐ろしくてしょうがなかったです。
が、一方で筋の通らない事を容認できない一面もあるので、いつも自分の中で激しい葛藤があったように思います。
異常な相手に対して最善を尽くして戦えなかった事を、かなり後から後悔し、それがフラッシュバックとして現れます。

いつ頃から絶縁状態なのでしょうか。
>22才からです。当時私は大学を中退して半年引きこもった後、実家から短時間のアルバイトに出て自分の食費分を稼いでいました。
私は自分に対する全ての自信を失い、とにかく人間が怖く、朝起きてから夜寝るまで、常に緊張していました。いつも窒息したような、心にぽっかり穴が空いたような気分でした。
鬱積した不満をどう発散すれば良いかわからず、家で大声を出したりした事もあります。
しかし母は、「大きな男が実家に居座るのは気持ち悪いから自活しろ」という姿勢でした。
そして同居の弟と大喧嘩した翌日、バイトから帰ると、母は不意に私に遠方の、疎遠にしていた親戚の家を尋ねるように言いました。言われるがままにその親戚を訪ねて世話になり、一週間ほどしてから母に帰る旨を連絡すると、「帰ってくるな。そのままそこの世話になれ。帰ってきても家に上げない(私は合鍵を渡されていませんでした)」というのです。
私は唖然としました。当然、親戚がそんな事を受け入れるはずはなく、私は追い出されました。
長くなるので少し割愛しますが、その後私は実家に入れず、食うや食わずの状態のところをある福祉法人に助けて頂きました。
大都市にある寮に収容され、1年間そこを拠点としながら就職してお金を貯め、なんとか独立しました。
寮にいる時も独立してからも、実家に手紙を送りましたが、返事は一切有りませんでした。
そこからは色々な仕事を経験して今に至ります。

ただでさえお母様とのコミュニケーションは難しかったと思うのですが、そこの部分を読んでいると、お母様への怒りもありつつ、ご自身のことも責めているように感じました。
すけさん様としては、その辺りはどのように考えていらっしゃいますか?

>「その点について」は、私は自分を責めているつもりは無いのです。
長い間、私は母から「お前は変わった子」「お前は悪い子」と教えられ、それを信じて育ってきました。
そして学校でも狂った同級生に毎日のように否定され続けたため、完全に自信を失いました。
母はよく私を否定したり、無理に自活を促したりする際に「お前のために言っている」と言いました。
が、実家から離れ、さまざまな人と接しながら暮らすうち、徐々に母の言っていた事の多くが「偽装」だったことに気づいてきました。
よく考えると、母の言動の多くは支離滅裂で矛盾だらけだったのです。
例えば、母は父と離婚する前にも1度離婚歴があったようなのですが、私や弟にそれを隠していました。
その理由は、自分が「被害者で可哀想な女」だと演出するためだったのです。
母は父との結婚は「望んだものではなく、父に騙された」のだと、私と弟に教えました。
しかし実際は、世間体を気にした親類が、バツがついた母に当時訳ありだった父を紹介してくっつけたようなのです。
親類に悪意があったのは確かですが、昭和の時代背景からして、30歳までにまともな初婚ができなかった女性が、再婚において不利な扱いを受ける事は、容易に想像ができたはずです。
つまり母は、自分にも落ち度があった事を隠し、100%自分が被害者だと我が子に信じ込ませる事で、自分のプライドを維持したのです。
今から考えると、母は非常に特殊な精神構造をしていたと思います。
現実の自分の姿や立ち位置を一切無視し、根拠のない自己愛に基づいた都合の良い自己イメージを膨らませ、それを己で信じ込む。
また我が子にも、それを信じ込ませようとする。
現実との矛盾が見えてくると発狂し、周囲に悪人のレッテルを貼って八つ当たりする。
その繰り返しでした。
母は毎日のように他人の悪口を言い、とても上から目線の物言いが多い人でしたが、自分では「謙虚で子供思いの良妻賢母」だと信じ込んでいました。
母が家事をせず、私や弟が数日同じ服を着、午後まで何も食べずお腹を空かせていても、母は「毎日家事をやっている」と信じ込んでいました。

また、弟様もいらっしゃるようですが、今でも関りはあるのでしょうか。
>ありません。
数年前、縁のないある都市の役所から「あなたの弟様が生活保護を受けています」という手紙が届いただけです。
弟は可哀想な子です。私が実家でバイトを続けていた時、大学受験生だった弟は冷酷な親戚から「お前が進学を諦めて高卒で就職し、母と兄貴両方を養え」と相当な圧力を受けていました。
弟は「兄貴のせいで俺は進学を断念させられる」という恐怖と闘いながら勉強をしていました。
弟の私に対する恨みは相当だったと思いますが、私は私で自分の事で精一杯でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?