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アナ雪の「モンスター」とは何か、誰か。

※2022年7月に書いた記事です❄️

劇団四季の『アナと雪の女王』を観た。
昨年の公演開始から1年が経って、やっと私にもチャンスが巡って来た。

アナ雪の物語は映画ですでに知っているが、なぜか舞台で観る方が毎度感動する。
以前アメリカ・カリフォルニアのアドベンチャーパークでやっている舞台を観た時もそうだった。

作中で特に印象的だった部分について記したいと思う。
ネタばれイヤだったら読まないでね!

* * *

のちに雪の女王となる、エルサについて

エルサは、雪・氷を操る力を持って生まれ、両親に「隠すように」言われ育つ。彼女もそれをわかってはいるものの、妹のアナに「魔法を見せて」と頼まれるとついその力を披露して"しまう"。
ある夜、アナにせがまれて魔法を見せていたエルサは、勢い余ってアナに自らが放った氷を当て、衝撃を与えてしまう。
アナはトロールの助けにより一命をとりとめるが、その出来事を境に両親は一層エルサの力を隠すように指導し、エルサはアナから完全に引き離される。そして、そんなことを起こしてしまったエルサは次第に自分の力、自分自身を"恐れる"ようになる。

セリフや歌でも出てくる「隠して、感じない。(conceal, don't feel)」という状態。
ストーリーが進み、アナがエルサの氷の宮殿を訪れた際、アナがエルサに帰ろうと誘う場面、エルサは"please don't remind me to feel"(=お願い。どうか私に感じるように諭さないで)と歌っている。

感じないということ、すなわちどういうことなんだろう。

「Feel」することを禁ずる=つまり感情、心が揺れることを全面的に禁止するということだ。感情がない冷酷な存在を、「血も涙もない」や、まさしくだが「Snow Queen」などと言うことがある。(ちなみに冷酷と言う言葉にも冷たい、と文字が入っているが。)

エルサは、本来アナのように明るく感情豊かなタイプだったはずだ。しかし感情が揺れ動くことによりそれをうまく制御できないと考えられたため、「冷酷」になることを強いられる。
しかし、どうだろう。冷酷に冷たく冷たくなると、彼女自身もよりcoldになってしまうのでは。
その通り、彼女は成長をしていくなかで「どんどん悪くなってる」とセリフで言っている。ちなみに『雪だるまつくろう』の歌の最後の場面でエルサの部屋内部の状況が描かれるが、それはもう可哀想なくらいにドア一面に氷が張りめぐらされているのだ。私は、ここに彼女の思春期のコントロールの効かない自我が描かれていると考える。

誰かを物理的に傷つけ、痛めてしまうほどの力を自分が持っているということ、そして自分がそれをコントロールしきれないということは確かに恐ろしいことなのだが、ここで引っかかるのは両親もそれを忌むべきものとしてとにかく隠そうと、ないものとしようとする部分だ。

自分自身を怖がるエルサ。アナが夢中でエルサの魔法を見たがるように、氷や雪を操れるのはすばらしく「美しい」才能なのだ。
それが誰かを苦しめてしまう可能性があるため、「ないもの」と隠すのはどういうことなんだろう。

私は、感じるということは、つまり生きているということなのではないかと考える。生きている、即ち魂が肉体に宿り、その肉体に血が通って体温を持っている状態。

そういうことって現実世界でもあるんじゃないか。

Love is an open door. 愛とは、"開かれた扉"。

一方で、エルサと対照的に明るい部分だけが集まり育ったようなキャラクターがアナだ。アナは初対面のハンスを疑いもせず結婚の約束までしてしまうのはさすがに行きすぎなものの、誰もが恐れるエルサを、彼女は恐れない。それは「自分の姉だから」。
エルサの築いた氷の宮殿でエルサと再会したアナにすぐ帰るよう諭すエルサだが、アナは怖くないと伝える。

アナは、愛について最初からよく理解していたようだ。愛とは"開かれた扉"。すなわち無条件の愛とすら感じられる、アガペーのような愛情なのかな。
その扉があまりに開かれていたせいで、悪い男に騙されてしまうわけなんだが。。用心は必要だ。
その愛の力で、エルサの凍った心の扉を開いたアナ。
やっぱり、エルサが自身に向き合い、幸せでいるには、アナの存在は不可欠だったのだろう。

エルサの歌う『モンスター』

『モンスター』はアニメに登場しない、舞台版として新たに加えられたオリジナル版だ。

ありのままの姿を見せること。
それを隠すように、出さないよう頑なに隠すことを余儀なくされたエルサ。
ありのままの姿を表現することは、何になるのか。

もちろん彼女は自身の力をあまりに出さなかったために、自身の中でどうしたらよいのか分からないまでになってしまったのかもしれない。
だから、やっぱり一人で雪山に氷の宮殿を作るくらいのことが必要だったんだろう。

西の悪い魔女と雪の女王の共通点

アナ雪はウィキッドと共通点が多くある。
2人のヒロイン、魔法の力を持つことで周囲から怖がられること、Let it goとDefying Gravityという、作品の主題歌となる素晴らしい楽曲。

しかしアナ雪は登場人物が多いこともあり、よくいれば主要人物に限らず周囲を描いている。悪く言えばそのせいでエルサの心の動きがなかなか掴みとりづらい。実際にエルファバが舞台に出ている時間よりもエルサが舞台に出ている時間は短い気がする。もっとエルサの歌声を聴きたいし、美しい衣装を観たいものなのだが。。

No Good DeedとMonsterも重なる。不利な状況になったヒロインが自身の決意を改めて歌う場面だが、エルファバはフィエロや大切な家族・先生を想うのに対し、エルサは女王という立場もあってか大雪を降らせてしまった王国そのものを救わねばと歌っている。

モンスターとは誰なのか。モンスターとは何なのか。
それは誰か他のひとなのか、自分のなかにある誰かや何かなのか。

わたしは、モンスターは次の三つだと考える。
①エルサが自分のなかに作ってしまった「モンスター」。そして自分自身を恐れている状態そのもの。
②エルサを恐れる人々。ここには、エルサの力を隠すように伝える親も含まれる。
③ハンスをはじめ、エルサを襲おうとする人々。氷の宮殿にまで侵入し、エルサの立場を狙うひとびと。もっとも、ハンスはアナをも騙し王座に就こうとしていた。。

この3つのモンスターと対極にいるのが、アナなのだろう。

そしてオラフが、エルサからも少し、アナからも少しと言っていたこと。
二人から少しずつだけ似ている。
オラフのどこが二人に似ているんだろう?
オラフは、愛がなにかを知っていた。
エルサの行動は、元々アナを大切に思ってのことなのだろう。

* * *

わたしはやっぱり観劇後はゆったりと観賞を終えて語りたい気がするな。
レリゴーのシーンはもちろんすばらしく圧巻なのだが、そこだけじゃなくてあの内容を受けての感想を語りたいと思った。


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