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『入れ子の水は月に轢かれ』に轢かれ

読書の秋の note の感想文企画、早川書房さんはちょいと一捻り加えてきた。

感想文ではなくファンレターならハードルが下がるだろうから、投稿されたものはファンレターとして扱い、すべて作者に届けてくれるというのだ。


いやいやいや。ファンレターなんて生まれて初めてですし、ハードル上がりますがな。


*              *              *


小生は生業において、障害者年金の支給額を決定づける書類を書くことにも与っておりまして、国からの金をなんとしてでも貰うための便宜を図ってもらおうと家族が私に金を包んで持ってくるのを突き返すという経験を何度となくしております。


先生の作品、『入れ子の水は月に轢かれ』を読むと、そのような「生きるための強かさによる逸脱」を随所に見ることができます。そもそも舞台である水上店舗の存在自体が、法に触れていますね。

(これ、丸っきり先生の創作でしょう?よくもまあこんな大ボラを思いつかれました。知識人ほど騙されるでしょう)

生きるために逸脱し、それにより何かが歪む。たとえば誰かが煽りを食います。主人公の駿はその代表でしょう。母は年金詐欺で彼の名前・アイデンティティーをも奪います。


人間の暗部を間近に見て人間不信に陥る……などと言う人は、暗部のある人よりは恵まれているのかもしれません。羨まれても良いほどに恵まれているのかも。

小生も若い頃は固く、年金に集ろうとする(「集る」という言葉にすでに価値判断がありますね)家族に吐き気を覚え、またそのような自分の思いを吐露することに何らのためらいを覚えなかったものですから、数々の恨みも買いました。青いことをのたまう割に後味の悪さに呻いておりました。なんとかこれまで無事、川に突き落とされるようなこともなく済んでおりますが。

今ではそういった行為にも、是非で言えば非には変わりませんが、強かに生きるということはそういうことだと理解を示せます。なにより現実的に、既得権を手放させるのが容易ではないことを痛感いたします。真に怒るべきこと、それよりも先にエネルギーを注ぐべきことがあるかもしれません。


いつ自分が、地主の土地に勝手に暮らさざるを得なくなるかも分かりません。いやすでに小さな禁は平然と犯しているかもしれません。あるいは身内がそうするとき、目をつぶるかもしれません。

(子どもがファミレスのドリンクバーを無料で飲めない年齢になりました。先日、こっそり飲ませる誘惑に何とか抗ったばかりです)


闇市を含め、歴史をまたいだ多種多様な人が生きるための逸脱を、先生はこれでもかというくらいに作品に盛り込みましたね。

おかげでそこに光る人の行いをも味わうことができました。

生者・死者共に、逸脱者たちは別のところで輝いているか、さもなくば弔われていますね。駿のことを思う母がいて救われます。鳥のエピソードも好きです。


ドブ川の闇にはキラリと射す光が冴えます。


先生、この一作に魂を注ぎ込みましたね。その執念、とくと感じました。


#読書の秋2020

#入れ子の水は月に轢かれ

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