人生棚卸 言いたいことはありません

危機一髪的な事は、それが起きた日から数日間は強く心に残っていて何かあれば思い出して冷や汗をかく。しかし、その事にずっと影響されたまま今後の人生を送っている人は少なく、大体の事は時間が解決していってくれる。それは悲しい事や嬉しい事もそうだし、すばらしい景色や朝日を見た事も強烈に脳裏に焼き付いてはいるが、その事も時間とともに段々と忘れていくのが普通だ。

記憶はおぼろげではっきりしないが、今でも時たま思い出して、あれは危機一髪だったな〜と思うことがある。そこは僕の事だから下らないことだ。

あれは中国を旅していた頃。僕はミャンマーと隣り合わせのルイリーという街にいた。今から20年前だ。この街に来る前、昆明にいた僕は他の旅行者からどこか良いところはないかよく聞いてまわっていた。大里がいいとかリージャンがいいとか色んな情報を得た。しかし今は頭の中で位置関係を思い描くことはできないが、まあ、それらの街は後からでいいか〜と思った。そして僕はあまり有名ではない街のルイリーにいく事にした。

いつも通りのバス移動だ。腹痛もなく順調に到着した事を覚えている。見事に日本人がいない。ミャンマーのとなりということで東南アジアの雰囲気が漂い、漢民族特有の険しさが街に無かった。それが居心地のよさにつながった。数日滞在して昆明に戻ろうと計画した。手頃な宿をとり、夕食を食べに外に出た。普通だ。平和そのもののだ。

夕食後、宿に戻る際に女性二人が声をかけてきた。中国語で言葉は分からないが、夜の女性だという事は分かる。興味はありありだが気の弱い僕はびびりながらも断った。しかし女性もなかなか引き下がらない。しょうがないのでマッサージだけしてもらうこととなった。按摩だ。

按摩は良かった。しかし今と違って腰痛の無い若い僕は悶々とするだけだった。その後女性を帰して部屋に戻った。すると財布やらパスポートが無くなっていた。焦りまくった僕はベッドを持ち上げ下を探し、宿から出て猛ダッシュで先ほど帰った女性達に追いつき渾身のジェスチャーで状況を伝えるも、彼女達は知らないという。僕は思った。この中国の辺境の地で今後の人生を送る事になるのか、と。旅に出なければよかった。そう思った。どこに日本大使館があるのかも分からなかったし、どう情報を得ればいいか検討もつかなかった。日本人もいないし・・・

宿に戻った僕はダメ元で宿の中を探した。そしたら階段のすみに僕の貴重品入れの腰巻が見つかった。今でも原因は分からない。几帳面な僕がそんな所に落とす事は考えられないが。とにかく休止に一生を得た。

今でも肝が冷える。

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