人生棚卸 言いたいことはありません

そろそろこの棚卸も終わりそうだ。まだまだ自分の人生を掘り下げてみる必要がありそうだがそれはまた次の機会になりそうだ。さて、このコロナ野郎の影響で長い間生産が停止していたメキシコの僕の勤めている会社もそろそろ動き出しそうである。本格的に生産が再開されるのがいつになるかはまだまだ分からないけど、ひとまず一歩前進ということで喜ばしい。

とは書いたものの、この約2ヶ月に及ぶ自粛生活で僕の体力は著しく減退して、規則正しい生活を送るための自己を律する精神力も姿を消したみたいだ。前途多難ではあるがやれることをやるだけだ。

今日は久しぶりにオフィスに人が集まった。政府からコロナについて従業員に適切な行動をとるための指導をするようにとの指摘があり、勉強会が行われた。基本的には風邪を引いた時にやるような対策と同じようなものだけど、四六時中マスクの着用を義務づけたり、従業員同士の距離を空けるようにとか食堂についての細かい指導があった。しかし人間だもの、そんなに上手くはいかない。

オフィスでパソコンをしていても水分補給をする時にマスクは外すし、ちょっと小腹が空いた時もそれは同様だ。そしてメキシコ人は細かいことにあまりこだわらず、鷹揚な人が多い。良く言えばおおらか、悪く言えば杜撰。そんな印象だ。ここ最近は日本での感染者数があまり伸びないのに対して、メキシコはまだまだ伸び続けている。それがなんとなく国民性を表していると思う。

なにはともあれ、コロナ野郎のせいでこの年になっての長い夏休みを経験してしまった。生活リズムは崩れに崩れたけど、英語の勉強に取り組んだり筋トレと柔軟を日課に取り入れてみたりと、いろいろ試行錯誤できた毎日だった。ほかには酒の誘惑から逃れてみたり、このNOTEを書いてみたりと普段できないこともできた。

仕事が始まるのはやっぱり憂鬱だ。毎日が休みだったこの時を懐かしく思う日はきっとくるだろう。でも今が異常なだけでやっと普通の生活に戻れるのだ。

この時間ははっきりとした幻だった。

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