見出し画像

『正解は一つじゃない 子育てする動物たち』を読んで

(2020/1/24に書いた文章)

グッグーン!私です。
先日読んだ本が素晴らしかったので読書感想文を書きたいと思います。本の概要は、様々な動物の子育て戦略(種を保存するための進化)の紹介です。本の趣旨として注意すべきなのは「この動物が優れている/残念だ」という人間的(道徳的や倫理的)な目線で書かれたのではなく、純粋な驚きを得られ、知識欲が満たされるということです。

また、下記文章内では「人」を「文明の中で暮らしている倫理観をもった人間」、「ヒト」を「動物的な、霊長類の一種であるホモ・サピエンス」と区別したうえで「人らしさ」「ヒトらしさ」と表現しています。例えば
・人らしさ=相手の嫌がる事をしない
・ヒトらしさ=二足歩行で移動する
なんていうのが想像しやすいかな?
それではお付き合いください。

『正解は一つじゃない 子育てする動物たち』を読んで

 動物が生きる目的の1つが、自分の遺伝子を子孫に残す事であるのは言わずもがなであろう。子孫を残すとは子を産むだけでなく、その子が性成熟するまで育てる事である。その方法にフォーカスを当てたのが本書である。
 私が思う本書の面白い点は
1,動物と人との共通点
2,筆者の子育てエッセイ
3,ヒトの動物としての特徴
 これらを例を挙げながら説明する。

1.動物と人との共通点

 動物の研究をしていると、文明を持つ人との共通点を見出す事が出来る。
 例えばマウスの子は親に運ばれる(抱っこされる)ときに親が運びやすいように体を丸める輸送反応を起こす。また、自分の力で移動出来るようになると輸送反応がなくなり、むしろ親に運ばれるのを嫌がるというのだから面白い。子どもの相手をした事があるならば、心当たりがあるだろう。
 先に示したような無意識下の行動が人と似ているという話はよく聞くが、その動物の意識的と思える行動も広い目で見れば共通点を発見できる。
 トゲウオという、オスが作った巣の中にメスが卵を産み、オスが子を育てる魚がいる。モテるオスの条件として体の大きさ以外に「立派な巣を待っていること」があるらしい。我々人でいうタワマンに住む男がモテるという事と違うと言えるだろうか?いや、言えない(反語表現)
 ハトはオスもミルクを出して子育てが出来る。一見人とは真逆だと思えるだろうが、人が発明したものの中に哺乳瓶というものがある。これにより男性でも母親の乳や粉ミルクという栄養価の高い食事を子に与える事が出来る。そういう意味では人とハトの共通点があると言えるだろう。
 こういった動物と人との共通点が垣間見れるのが面白い。

2,著者の子育てエッセイ

 本書は子育て経験を持つ複数名の若手研究者が各章を書いているのだが、章の終わりごとに自身の子育てエッセイが書かれている。
 例えば兄弟の縄張り意識や、父性の確実性を高める為に子がするであろう行動、子が嘘をついた喜びなど、著者達の学者的視点での子育ての気付きが記されているのが面白い。
 しかし、それでも人の親として育児(に関する情報含め)に翻弄されている姿には何かを感じざるを得ない。いくら生物学や心理学的に証明された子育てのウソを知っていても、自分の子の事に関しては別なのであろう。
 他にも、仕事柄長期間家を空ける事がある中で、自分の子育てに立ち会えなかった著者達の、家族への感謝が綴られている。

3,ヒトの動物としての特徴

 本書の序盤ではヒトの子育てについても書かれている。ただし「正しい子育て論」という訳ではなく、ヒトとしての特徴だ。例えば脳を大きくする事で進化してきたヒトの出産の特徴や、平均的な離乳年齢についてだ。
 この章を読んで、改めてヒトも動物の一種だと気付く。ただし「動物の一種に過ぎない」という後ろ向きな表現ではなく、"人らしさ"とは別に、他の動物と比較した中での"ヒトらしさ"があるのではないかという考えだ。
 人を人たらしめるものは倫理観や道具の二次的使用だという意見は多いだろう。では、ヒトをヒトたらしめるものは何であるか?この本からは脳の大きさと社会性であると読み取れる。社会性は人らしさではなく、ヒトらしさなのだ。そしてそのヒトらしさ(動物としての特徴)には、個体差がある事も書かれている。
 子育てが社会的行動だと考えると、個体差があり、故に「正解は一つじゃない」のだ。
 社会性が動物としての特徴であるなら、子育て以外の社会的行動を考えてみる。対人姿勢/恋愛/仕事/食文化 etc...先程も言ったが、これらは人らしさではなく、ヒトらしさであり個体差がある。多様性の意味が生物学的に分かった。本のタイトルになぞらえて『正解は一つじゃない ○○するヒトたち』とでも言おうか。
 とはいえ受け入れ難い社会性(その個体の特徴)がある事は否定出来ない。ある動物はメスの発情を促す為に子殺しをする。この事実は受け入れる事が出来るのに、恋人が連絡無しに23時に帰ってくる事(仕事観、生活観)は許せないのは何故か。ある動物は他種の巣に卵を産んで育てさせる托卵をする。この事実は受け入れられるのに、茶碗にご飯粒を残した私(食文化)を受け入れられないのは何故か。責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。
 同じヒト同士が持つ社会性という特徴の個体差を受け入れられるかが「相性」なのだろうか?本の中では他の動物にも相性はあると書かれている。
 そこで私が今気になっているものは、「生理的に」という言葉だ。生理的に嫌な対象。例えばクチャラー。
 「生理的に嫌」の正体を「この人とセックスしたくないという感情」と説明している安っぽいサイトがあるが、「遺伝子を残したくない」という意味ではある確かに動物的であろう。

 さて、本の感想を書くつもりが倫理観を飛び出したヒトらしさ、さらには多様性と相性の話にまで飛躍してしまった。しかしこの本がそこまで考えさせる内容となっている事は事実だ。
 本書は文字数が多く、読むには時間がかかるだろうが文章は読みやすく、一般公開された大学の講義のようにスラスラと内容が頭に入ってくる。是非読んで、皆で話がしたいと思った。

それでは聴いてください。
ZOO〜愛をください〜 / 蓮井朱夏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?