見出し画像

僕はポケモンだという話

小さい頃から「自分はポケモンだ」と思ってきた。人間関係における立場や周囲からの扱いが、人間のそれというよりポケモンのそれなのだ。ポケモンがピンと来ないなら「マスコット」「アイドル」「変な奴」「宇宙人」などでもいい。

要するに、僕は小さい頃から、あんまり対等で地に足の着いた人間関係というものを作れたことがない。周りの人たちが「俺たち」「私たち」を形成しているとき、そこに取り込まれたことがない。何らかのコミュニティがあるとき、そこの住人たる人間たちの観察対象として、あるいは見世物としてしかそこに存在できない。

僕は常に異物としての振る舞いを求められ、あるいは求められていると認識し、それに合うようにふるまってきた。人と違うことをすることで、コミュニティに外部として接する、僕にはそういうポケモンしぐさが染みついている。

そして多分、これは珍しい種類の人間ではないと思う。僕はこの世にポケモンが結構いっぱいいるんじゃないかと思っている。あなたや、あなたの知人もポケモンかもしれない。

いったん、僕が言うところの「ポケモン」とは何かについて一応説明しないと。学生の頃を例に出すのが早いかもしれない。

小中高と、僕はそれなりに明るい奴だった。クラスの誰とでも喋れたし、誰からも話しかけられたし、学級委員だとか行事のリーダーだとかを任されるタイプだった。勉強も運動も一通りできたし、先生にも信頼されていた。しかし同時に、誰も僕の家や趣味や好きな食べ物を知らなかった。あだ名とかもない。あるわけがない。どのグループにもいない。いるわけがなかった。

さらに、学校において、僕は周りと同じことをしてはいけなかった。少なくとも僕はそう感じていた。図工や美術の授業で自分の似顔絵を描くとなれば、自分の顔をそのまま描いてはいけなかった。書道の授業で何か好きな言葉を書けとなれば、やっぱりみんなと違う文字を書くことが求められている気がした。いたろ。クラスに。それが僕だよ。

そして僕はちょうどいいくらいに逸脱したラインを狙うのがうまかった。自分に求められているくらいの逸れ方をいつも狙っていたし、きっとそれは大体うまくいっていた。僕が何かをすると皆がそれを見て楽しんだ。このとき、僕と周囲は友好なコミュニケーションをするのだけど、同時に、僕と周囲は地続きではなかった

給食の時間は班で机をくっつける。机は繋がる。だいたい話すのは僕だった。作ってきたクイズの問題を披露したり、マジックをしたりした。概ね評判はよかった。放課後や休み時間には替え歌を歌ったり、僕が考案した変なゲームをみんなでしたりした。ここでもやはり僕と周囲は地続きではない。僕はずっと「みんな」に茶番を提供する人間でしかない。外部として「みんな」と関わっているのだ。みんなが楽しくなってくれるなら、それでいい気がしていた。

どうしてそのように振舞っていたかと言えば、そう振舞うことが求められていると思ったからだった。

自分が持たれているイメージを自ら意識的になぞるというのは、あんまり健康ではない動きなのだと思う。その一度一度については「わざとやっている」という実感があるのだけど、それを繰り返しているうちにだんだんそういう人間になっていく

物珍しい者になっていく。あくまでも外部として振舞うことが根付いていく。どんどん「みんな」との断層が出来上がっていく。僕にとって、常識とは「みんな」からずれるために参照すべきものになっていった。そんな奴はとうとう何かを「みんな」と共有することは出来ない。僕はずっと、地上の人間関係からぼんやりと浮遊したポケモンだった。

10代の僕は、そういった自分のポケモン性を自覚していたし、出来ることなら人間になりたいと思っていた。人間らしい人間には羨ましさも感じた。でも、あまり悲観的ではなかった。たぶん、地元との相性が悪いせいだろうと思っていた。大学に行けばどうにかなる、「内部」にいられると思った。

そして大学に行った。馴染めそうな京大にした。さすがにどこかのコミュニティの「内部」にいられるかと思った。ゼミ、バイト、サークル、学生団体、ボランティア、インターン、インカレのイベント運営、色々な集団に出入りした。学生生活は充実した。バイタリティはある方なので、どこでも中心人物っぽくはなる。しかし、どこもちょっとずつ違った。どれだけ動き回ろうが、「俺たち」「私たち」にはついに入れなかった。結婚式に呼んでくれない程度の友達がめちゃくちゃ増えた

僕はどんな集団に属したとしても、ある程度は好かれたし、ある程度は嫌われた。ただここで、好かれることや嫌われることに大した意味や違いはない。結局は「外部である」ということがむしろ自分の本質だった。

自分に向けられるまなざしが好奇だろうが忌避だろうが、それは外部に向けるものでしかない。何かを共有する仲間や敵に、人間は好奇や忌避のまなざしを向けない。宇宙人を怖がる人がいても、宇宙人と接触しようとする人がいても、どっちみち宇宙人が宇宙人であることには変わりない

恋愛についても同じだった。大体いつも目立つため、僕に恋愛感情を抱く人自体は現れる。そして人当たり自体は柔らかいので、話せば仲良くなれる。交際に至ると、決まって毎回「何を考えているかよくわからない」「現実に存在している感じがしない」とか言われ振られるのだった。恋をしてもなお僕は内部にいられない。

そしてとうとう自分はポケモンなのだ、人間ではないのだと思うようになった。そのことを特段憂うこともない。

もちろん人間にはなりたい。物凄くなりたい。でも、ポケモンならポケモンで仕方ない。ポケモンにはポケモンの生きやすさもあると思う。今はお笑い芸人をしているが、ポケモン向きの仕事だと思う。楽しい。

しかし、やっぱり僕はポケモンなので、お笑い界の主流からはかけ離れた活動をしている。事務所に入らず、制作会社の主催するライブにも出ていない。呼ばれたらどこへだって行くのだけど、呼ばれるまではどこへも行かない。僕と出会いたい人間がいっぱいいることも、僕を受け付けない人間がいっぱいいることも、同じだけ強く分かっているからだ

ポケモンとして自立すべく、僕はずっと一人で、単独公演ばかりやっている。毎週末新ネタを15本披露する公演をしたり、72時間軟禁されてずっとコントをやり続ける公演をしたり、とにかく「内部」に匹敵するくらい強い「外部」にならねばと思っている。そしてあわよくば、自分のコントを笑ってくれる人とは、何かを共有できたらいいなと信じている。ポケモンのまま、ポケモンの方法で人間になろうしている。人間になろうとしているという点ではポニョかもしれない

僕はそのように生きている、そのようにしか生きられない自分に悲しみを感じることもある。だけど、憂いてばかりいられない。どんなに頑張ったところで、僕はきっとこのまま輪の中のメンバーになれない。「みんな」になれる気がしない。

だからたくさんの工夫をして、常識から心地よいくらいの距離を取って、頭も体も使って、ポケモンらしさを活かして、人間と関わっていかなければならないんだと思う。これはとても、苦しく、楽しい。この営みを通じて、どうかあなたとわかり合いたい。


YouTubeチャンネル「九月劇場」
コント毎日更新中

ライブの日程・詳細・予約はこちらから

サポート頂けた場合、ライブ会場費、交通費などに宛てます。どうぞよろしくお願いいたします。