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性行為の後で性器を拭く瞬間の情けなさ

谷崎潤一郎の小説に、一人の男が道で転ぶだけの話がある。転んだ男は、とてつもない情けなさを感じる。どうせ転ぶなら誰かに見てもらっていた方がよかったような気もする。男は堂々巡りの逡巡に駆られる。情けなさを描き切った短編小説の傑作だ。

人間が生きる上で、「情けなさ」はたぶん本質的な問題の一つだ。常にかっこよくいたい、きれいでいたい、クールでいたいと思っても、どうせ生きてたら情けない瞬間が次々やってくる。

では、一人の人間が生活するうえで一番情けない瞬間とはいつなのだろうか。僕はずっとこのことを考えていたが、最近思い当たった。性行為の後で性器を拭く瞬間だ。あの瞬間は男女問わずめちゃくちゃ情けない。

欲望に身を任せてしまった感について気まずく思いながら、それでも「なんだか晴れやかで幸せ」みたいな顔を作りながら、自分何してるんだろう感が頭の大半を占めながら、終わった祭りの後片付けをする。あの瞬間は本当に情けない。あの情けなさにはたぶん幾つか理由がある。

一つ目に、何といっても動きが小さく情けない。かっこいい動きはだいたい派手だろう。二刀流・大谷選手のホームラン、スケートの浅田選手のジャンプ技、B'z松本のギターソロ、コブクロ黒田のサビ部分、どれも動きは大きいよ。特に黒田は動いてる。曲にもよるが、ほとんど腕で歌ってる時もある。いかにも舞台映えする。

一方で、性器を拭く瞬間は動きが小さすぎる。せせこましい。小手先感が半端じゃない。舞台映えも何もあったもんじゃない。

そして二つ目、これは僕の経験則だが、性器を拭く瞬間、なぜか人は無言になる。誰が決めたか分からないが、あの時間は私語厳禁なのだ。ラブホテルや寝室が、急にさびれた県立図書館になる。急に空間を沈黙が埋め尽くして、さっきまで聞こえなかった空調の音が聞こえ、空気の埃っぽさに気付いたりする。地元の図書館が懐かしくなる。高校生の頃を思い出す。

しかし見渡したところで、図書館にしては本がない。誰もが称賛する名著も、わくわくする新刊もない。ただただ沈黙が気まずい。「セックスは最大のコミュニケーション」とか言うなら、絶対に事後、性器を拭いている瞬間こそ喋った方がいい。基本的に無言はダサい。無言でかっこいいのは居合抜きくらいだ。そして性行為の後われわれは抜き終わっている。

さらに三つ目、これも理由は分からないのだが、性行為の後、性器を拭きたいときに限って、なぜかティッシュが見つからない。すぐ見つかった試しがない。私語厳禁のルールを守ったまま、二人の人間がティッシュを探し回る姿は滑稽すぎる。

酷いときは諦めてトイレに向かい、トイレットペーパーを持ってきたりする。「あったよ」と言わんばかりに引きつった笑顔をする僕を見ないでほしい。固形になった情けなさが空間に横たわっているようだ。ものすごく恥ずかしい。頬まで亀頭の色になる。穴があったら入りたいとはよく言うが、さっき入った後だったりする。本当にどうしようもない。

最後に四つ目、物凄く根本的なことだが、谷崎の小説と違って、性器を拭く瞬間は得てして隣に好きな人がいる。ゼロ距離にいる。「道で転ぶ」くらいなら見てくれて構わない。好きな人が笑ってくれたら救われたりもする。

だけど「性器を拭く」は現象としてヤバ過ぎる。恥ずかし過ぎる。終始無言でティッシュを探し、引きつった笑顔でトイレットペーパーを持ってきて、小さい動きで性器を拭く。そんな瞬間を見られるなんて、自我が幾つあっても足りない。

この情けなさには、実は明確な対策がある。それは、「性行為をした後で性器を拭かない」という常識への逆張りである。この場合、無言の時間も生まれないし、小さな動きもしなくていい。

ただ大問題が発生する。「こいつ拭かない奴だ」と思われてしまうのだ。それも得てして好きな人に。これはめちゃくちゃまずい。性病リスクがどうとか、不潔だからどうとか以前の問題だ。「こいつ拭かない奴だ」とカテゴライズされるのはキツ過ぎる。

ここまで述べてきたことから分かる通り、僕は少しややこしく考えてしまう人間だ。「こいつ拭かない奴だ」のレッテルに耐えられるわけがない。拭くしかない。そして拭くのは情けない。


そういえば、世の中にはよく「好きでもない人とセックスをするのはどうこう」とか「結婚する前にするのはどうこう」とか「付き合ってないのにするのはどうこう」みたいな話が存在する。

僕は法律に違反しない限りなんでもいいと思う。誰が誰と性行為をしようが好きにしたらいいと思うし、自分自身、誰とでもしようと思えばできる気がしていた。だけど、もう気付いてしまったから、今までには戻れない。「性器を拭く瞬間を見られても恥ずかしくない人」とだけ性行為をしようと思う。みんなもそうしてくれ。

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