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アセロラの縮尺

アセロラのことは、間接的にちょっとだけ知っている。生まれてこの方、年に一回くらいのペースでアセロラ味の何かを飲み食いしているからだ。アセロラジュースなり、アセロラチューハイなり、アセロラ味の飴なり。好き好んで選ぶかと聞かれたら緩やかにノーなのだけど、摂取した経験は結構ある。

それらアセロラ味のものは、基本的に味のブレがない。高かろうが安かろうが、固体だろうが液体だろうが、全部同じ味がする。強いて言葉にするのなら、果物と野菜の中間、やや果物よりくらいの感じ。トマトとりんごとさくらんぼを足して、割り損ねてちょっと雑味が残ったような感じ。

アセロラの形も知っている。アセロラ味のものには、だいたいアセロラの形の絵が描いてあるからだ。僕はそれらを通じて、アセロラが赤い果実であること、そして若干いびつな形をしていることを知っている。それはもう、疑うべくもなく知っている。

しかしである。僕はアセロラをこの目で見たことが一度もない。触れたこともない。果実そのものを口にしたことなどない。アセロラを買ったこともなければ、スーパーの果物売り場に並んでいるのを見たこともない。

だから、僕はアセロラの縮尺を知らないのだ。アセロラって、一体どれくらい大きいんだ? あの味であの形状なのはわかるのだけど、じゃあ一粒一粒はどのサイズ感なんだ? いちごぐらいであってるのか? それとももう一回り小さくて、ぶどうくらいなのか? いや、あるいは柿やミカンくらいなのか? ともするとリンゴや梨くらい大きいタイプなのか?

感覚的にはいちごぐらいな気がするだけど、ぶどうぐらいならぶどうぐらいな気もするし、柿やミカンな気もするし、リンゴや梨だと言われたらそうな気もする。僕はアセロラの縮尺を知らない。

すると、僕の想定なんかよりめっちゃでっかい可能性とか、めっちゃ小さい可能性もあるということになる。めっちゃ怖い。アセロラ、たらこの一粒一粒くらいの大きさだったらどうしよう。集合体になって味がするタイプの食べ物だったらどうしよう。あるいは、すいかくらいあったらどうしよう。何人かで分ける前提のサイズ感だったらどうしよう。

全く知らないものは怖い。でもそれにもまして、「ちょっとだけ知っているもの」はマジで怖い。一部分だけを知っているもの。片鱗だけが見えているもの。気配だけがするもの。ぼんやりとイメージだけできるもの。それらは本当に怖い。だから僕はアセロラが怖い。めっちゃ怖い。縮尺がわからないからだ。

全体像を見てしまえばきっと大したことがないものだとしても、そしてそのことが薄々分かっていたとしても、アセロラなんてどうせ妥当な大きさに決まっているにしても、そうはいっても怖い。自分の認識において省略されているところに、一体何があるのかわかったもんじゃない。アセロラの縮尺はどうなっているんだろう。マジでわからない。

そういえば、僕が子どもの頃は心霊写真を撮り上げ続ける番組がやたら流行っていた。毎週毎週、よくもまあ気分の悪い怖い写真ばっかり集めて来るもんだ、大人ってマジで暇なのかな、それかマジで忙しすぎてわけわかんなくなってんのかな、どっちにしても嫌だな、と幼心に思っていた。

そういった番組で紹介される「心霊写真」は、ほとんどが「手だけ写っている」「顔だけ写っている」というような、幽霊の一部分だけが写る写真だった。今思えば、それってめちゃくちゃ示唆的な事実だと思う。

幽霊がいるとかいないとか、そういうことはこの際どうでもいい。よそで議論してくれ。俺はどっちでもいい。そういうことじゃない。テレビ番組で取り上げられる心霊写真が、すべて「幽霊の一部だけ」を写した写真であること、そういう写真が選ばれていることが問題なのだ。要するに、「幽霊の一部だけ」が写っている写真の方が、「幽霊の全部」が写っている写真よりも、なんとなく怖いのだ。全部よりも一部の方が怖いのだ。これは僕がアセロラを怖がるのと同じ理屈だ。これは普遍的な人間的事実なのだ。

仮に幽霊が全面的に写っている写真があったとして、別に怖くないだろう。集合写真に明確に一人多くて、明確にピースしてる奴がいても、別に怖くないのだ。いや、よくよく考えたら幽霊がはっきり全部見えている方が怖いはずなんだけど、なんか人間の認識の仕組みとして、「一部分だけ分かっていて、分からない領域がある」方が嫌なのだ。だからアセロラが怖いのだ。

しかしアセロラについて、僕は今すぐ縮尺を知りたいとは思っていない。アセロラについて、知らないまま怖がっている方が、楽しいからだ。

僕はアセロラが大きい可能性や小さい可能性がある世界で生きていく。その方が、ほんの少しだけ世界が広くなる気がする。知らないもの、知らないことを恐れずに、面白く怖がりながら生きていきたい。いつか本当のアセロラに出会ったとき、その方が盛り上がれるだろうし。

今日生まれた新しい慣用句

「アセロラの縮尺」
認識できているようで完全には認識できておらず、あまり知らない部分があるものは怖いことのたとえ。また、その知らない部分のこと。



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