普通は理想で、普通は嘘で

「普通」は不思議なもので、手に入れたと思ったらすり抜けてしまう。普通の人生は、人によってあまりに異なる。私は日本に生まれ育って、人種も東アジアで、男で、極度の貧困に苦しんだことは今のところ無い。そんな人間の普通と、例えばアメリカで生まれ育って、人種はアフリカ系で、女で、極度の貧困に苦しむ人の普通が同じであるはずが無い。
ここまで極端でなくとも、性別が違う、出身が都市か地方か、兄弟の有無。その程度の違いでも普通の基準は大きく異なるだろうに。

自分が何に苦しんでいるのか分かる。普通とは恐ろしい事態だ。
無いんだ普通なんて、あるのは理想だけ。だから苦しむ。理想なら諦めがつく。妥協して、終わらせて、新しいステップへとりあえずで進める。それは、課題を7割くらいで終わらせて授業に臨むことかもしれない。準備もほどほどで仕事に臨むことかもしれない。
しかし普通という言葉は、それが0、基準だ。それも「みんな」がやっている基準だ。だから苦しむ。完璧にやっているつもりも無いのに、普通の基準が高すぎるから苦しむ。

というのを、このラジオを聞いて思いました。

オモコロ編集長の原宿、漫画家の室木おすしのラジオ。面白い。

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