くさったさかなの目をしてる(05)

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 他人の視線などお構いなし、自分らしか存在しない世界で生きている電車内やファーストフードで騒ぐ女子高生のように「どこか知ってるお店、あります?」「えぇ、私も、そんなに詳しくないんだよ」「それならそれなら、ちょっと行ってみたい店があるんです」「どんな店?」と語り合うキタとサカガミの背中を見送っていると、ウルシバラは、「私は、これで」と立ち去った。ヤマキは、「どうします、これから?」と言ってきた。場の雰囲気でメンバー全員が参加というのであれば、チームのリーダーとして断りようがないが、男一人であれば、付き合ってやる必要はなし、ヤマキとて、自分で二次会を提案した手前の発言に過ぎず、私とサシで飲みたいわけではない。わざと携帯で時間を確かめてから、「実は、トースターがね」と、予め準備した口上を述べる。


「古いヤツで、タイマーと電源が一緒になっているタイプ、ほら、分かる? ダイヤル式で、一度回すと、熱くはなるし、一応はジィーって音は鳴っているんだけど、一向にオフにならないんだ。まっ、使えないこともないから、使ってはきたんだけど、さすがに買い換えようかと思って」


 ヤマキは、「そうですか」と納得。
「危ないですね。早く買った方がいいです」
「危ない?」
「危ないでしょ。電源がいつまで経っても切れないと、火事になるかもしれませんよ?」
 私は、そんなことは分かりきっているからこそ失念していたんだ、とばかりに、今更ながら「あぁ、それね。そうだね」と取り繕う。


 ヤマキとは駅前まで一緒に歩いて、「それじゃ、また月曜に」「今日はお疲れ様でした」と別れた。真っ赤なネオン管による店名が灯るビルに入る。店舗内は隅々まで照らされて、夜の繁華街に慣れた目には、全てが白っぽく映る。仕事から解放されたばかりの勤め人たちが最新の機種に魅入っている携帯売り場を素通り、エレベーター脇に貼ってある店舗の案内図を眺める。監視されているわけもなく、律儀にトースター選びをする必要などない。ヤマキだって、野郎二人だけで酒を飲みたかったわけもなく、適当な口実を得て、安心しているに違いない。そう考えても、親身になって心配してくれたことが引っかかって、エレベーターに乗り、五階の調理家電売場で降りた。

 電子レンジコーナーのおまけのように、トースターはフロアーの隅に追いやられていた。壁につくられた二段の棚に、いろんなメーカーのトースターが並び、床には未開封のダンボールが隙間なく置かれている。もっとも高額な機種の前には、小さな液晶ディスプレイが設置されており、二・三年前、テレビに出まくっていた若手お笑いコンビが、焼き上がった食パンを口に入れては、「なにこれ、うそでしょ」と驚き、絶頂期にはNHKの紅白でも披露したギャグに絡めて、商品の良さを紹介している。年末、テレビをザッピングしていると、ちょうど彼らの登場シーンに出くわした。一世を風靡したギャグに、司会者たちは手を叩いて笑っていたが、そばにいた歌手たちは無表情、客席からの反応は皆無で、テレビの前の私は直ぐにチャンネルを変えたのを覚えている。今の彼らは、焼き立ての食パンを口にしては「うまい」と驚き、掃除の実演を見ては「簡単」と驚き、レシピの多様さを教えられては「便利」と驚き、会話の端々に持ちギャグを差し挟むといった短い動画が、繰り返し繰り返し私の耳を襲う。機械の下に置かれたパンフレットを開いてみると、「スマートフォンと連携」という大仰な機能に失笑してしまうが、細やかなタイマー設定と、別売りの調理用プレートの実例を見て、前夜に準備しておけば、早朝にはパンだけではなく野菜炒めといった簡単な料理を自動で完成させることが可能なことに気が付く。味気ない一日であっても、ちょっとした贅沢で始まることを想像して高ぶりを覚えるが、旬を過ぎたギャグを耳にして、どうせ直ぐに慣れてしまうのだと引き戻される。


 身の丈に合わない奢侈品などではなく、つつましやかな機械でもって、十分に現状の不具合は解消できる。ネットで検索した際には二千円を切る商品もあったが、ここでの最安値は三千円。いずれにしろ、タイマーはちゃんと回って、一定時間を経過すると電源は自動で落ちる。それだけでも、毎朝の、かたく黒いパンを回避することが出来る。


 店員を呼びつけるまでもなく、棚の下にきっちりと並べられたダンボールの中から、プライスカードに書かれた型番を探し出して、レジまで持って行く。紐でもつけてもらえれば、持ち運びに苦労することはないだろうが、それすら大儀であるのなら、この場でスマホから、最安値のトースターを注文するという手も。これまでは一個人の我慢の問題ではあったが、ヤマキからの指摘によって、最悪、他人様をも巻き込む恐れもあることに気付かされた。今日までは運良く、手動でトースターの電源をきっちりと落としてきたが、これからは、どうだろうか? 百パーセント確実に実行する自信はない。家を出る前にトースターの電熱線の色を確認するとか、一々、コンセントを抜くとか、対策はあるものの、そんなことで朝の忙しない時間を浪費するくらいなら、やはり安物でかまわないから新品を購入する方が合理的。

 理屈は分かりきっているのに、買う気にはならない。私の生活に、この新しい機械を、うまくはめ込む自信がない。もちろん、物理的には、今あるトースターをどけて新品を代わりに置くだけ。これまで使っていた物は粗大ごみとして捨てるか、台所シンクの下の収納スペースにでも放置すれば良い。それで問題は解決。些細な手間だとは分かっているのに、どうしても手が動かない。現状に満足しているわけではないにもかかわらず、異物の挿入に対して、疲労を先取りしてしまい、衝動が萎えてしまう。まぁとりあえずいいではないか、どうにかなるだろう、むりをすることはないと、自己を説得する自己に嫌気がさしていたのは過去のこと、今では痛痒もなし。


 携帯で時間を調べ、もう駅でヤマキと落ち合うようなことはないだろうと確信、大きな冷蔵庫の前で、呆れ顔をした店員が叩く電卓を、腕組みをした真っ赤な顔の男性がシゲシゲと真剣にのぞきこみ、そんな商談を、頭にネクタイを巻いて、外したマスクをクルクルと手元で弄んでいる二人の男性が、ニヤニヤと眺めている間を通り抜け、下りのエスカレーターに乗ると、気の滅入る摩耗したギャグが、ようやく遠のいていく。


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