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『善』『悪』だけの考え方だと偏った見方しかできない。

最近、1つの事実に善か悪かどちらか決めつける人が増えています。

「善いこと」の中にも見方を変えれば悪い部分もあるでしょう。逆に「悪いこと」の中にも良い部分はあるはずです。また、会話の中で「その考えもあるな」と思っても、自己意識的では直ぐに今までの考え方に戻ってしまうことが多い。

1つの事実に自分の考えを持っていて、それが「どちらかと言えば善」だったとします。そして、他人からその事実は「どちらかと言えば悪」だと言われると、話した内容全て「自分と違う考えだから受け入れない。」という思考になることが多いのではないでしょうか。自分なりに出した結論を否定されている気持ちになるのでしょう。

自分の考えを否定されることは嫌なことですが、その覚悟をある程度持っていないと会話は成り立たないということです。お互いをいかに認め合っているかでも変わってくるかもしれません。また、逆の意見を言われるのが怖くて話をしないことも有るかもしれません。

善か悪だけで考えると、そこには「協調」は生まれず「分断」が生まれる。

分断は誰しもできば避けたいと思うでしょうが無意識にしています。例えば、話したくない人って皆さんにもいるのではないでしょうか?それが分断の始まりだと思います。そして、自分の考えに同調する人を探しグーループを作り過激になっていきます。それが、いじめに繋がっていきますが、大人の場合は自分が誰かを傷つけているという感覚がないと私は思っています。それは、自分は正しいことをしていると考えているからです。

基本的に、善の中にも悪があり、悪の中にも善があるという考え方を持つと、立ち止まって考えることが出来ます。また、相手のことを考えるようにもなります。

この思考を子どもの頃から持っていれば、いじめは少なくなるでしょう。

まずは大人がお手本を❕





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