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差別的発言とブラックジョークと

 この記事は、NHKのビットワールド内で現在放送中のアニメ「あはれ!名作くん」が、2021年6月18日に公式YouTubeチャンネルにYouTube限定であげた動画(現在は削除済み)について、私の意見を述べたものである。現在公式twitterでの謝罪と動画の削除も行われており、終わった問題について蒸し返すのもどうかとは考えたが、私がこう思ったのだということを残しておきたいので書くことにした。一介のファンであり、単なる大学生の戯言だと思ってもらって構わない。

問題の発言とその経緯

 先に述べた動画はなぜ削除されるに至ったのか。端的に言えば、その動画の内容に差別的と思われるセリフが含まれていたからである。内容としては、二人のキャラクターが「悪口しりとり」をするというものである。私個人としてはこれ自体に特に問題があったとは思わない。ただ今回主に指摘されているのは、アニメの中にでてきた「クスリやってんの?」「脳に障害があるのかな」という二つのセリフである。私はこの中でも特に後者の発言を非常に問題視しており、今後の記述も後者の発言を主軸にする。

ブラックジョークと言葉狩り

 まず、今回の動画には批判だけではなく擁護の声もあった。例えば「ブラックジョークや風刺が許されないなんておかしい」、「NHK / 子供向けアニメでなければ許されていた」、「言葉狩りではないか」とか。しかし、「脳に障害があるのかな」はブラックジョークというには度が過ぎているように思えるし、風刺というには何を批評する目的なのか全く分からない。ブラックジョークというのは基本的にマジョリティ側を腐すことで笑いをとる手法だと理解しているので、私は今回の発言はブラックジョークとは言えないと思う。「NHK / 子供向けアニメでなければ許されていた」に関しては、NHKや子供向けとか関係なく、差別的な発言は表現として許容されるべきではない。炎上するしないに関わらず、差別は人の尊厳を傷つける行為である以上許されないものである。また、差別的発言を批判することまで言葉狩りと言ってしまうと、ジェンダーや人種や出身地域などによる差別までもを是とすることになってしまうと思う。私たち一人一人が尊厳をもって自由に生きる前提として、差別的な発言や行為は(それが公に出るのであればなおさら)してはいけないことなのである。

では、そもそも先の発言はどういったところが差別的なのだろうか。

差別的とはなにか

 「障害」という言葉にはいくつかの意味がある。広辞苑の第六版で「障害」という語を引くとこのように出てくる。

1 さわり。さまたげ。じゃま。「—―を乗り越える」
2 身体器官に何らかのさわりがあって機能を果たさないこと。「言語—―」

「脳に」という前置きがあることに鑑みても、やはり今回の発言ではおそらく2の意味で「障害」を使ったのだと推察される。そして一般に「脳に障害がある」といったら、脳梗塞や交通事故などによって脳が損傷し、大小問わず脳の機能を失った人を連想すると思う。あるいは「発達障害」などの先天的な障害を連想する人もいるかもしれない。つまり、障害を負った人は現実に存在し、そうした人々やその状態を指し示す言葉として「障害」は用いられるのである。

では、このような語を「悪口」という文脈で扱うことは果たして適切なのだろうか。たとえば、「犬」という語自体に差別性はなくても、悪口を言うという前提の下で「犬」が用いられたのならば、発話者は犬を悪口として成立する意味合いを持つ言葉とみなしているということになる。悪口として「脳に障害がある」という言葉を扱ったのならば、その言葉を考えた人は、脳に障害があることを侮辱的なこととして捉えているということになるのだ。ここに、この発言の差別性があるのだと思う。

私は殊更に障害を特別視することで、「守ってあげなきゃ」「触れてはいけない」というような言説を再生産することには反対だが、かといって今回の発言はあまりにも配慮がないのではないかと思う。障害を持つ人々は歴史的に社会において弱い立場に置かれていた。そして今でもそれが全て解決しきったというわけではない。そのなかで「マジョリティ側が、マイノリティ側を指す言葉を罵倒語として使った」というのは十分に差別的だと捉えられるだろう。

チェック体制の不備

 そして、私としてはこのチェック体制の不備が一番気になっている所である。ここまで偉そうに能書き垂れてた私だって、きっと気が付かないうちに誰かを傷つけ、差別的なことを言っていたかもしれない。しかし、公開される「作品」である以上、脚本家や監督以外にもスタッフや演者がいるはずなのである。その中で、誰かが指摘したがその意見が取り入れられなかったというのならば、それは制作のチームバランスに問題があるように思われる(まあここは各自のやり方があるから一視聴者が口を出すことではないかもしれない)。逆にこの動画に携わった人すべてがあの発言を問題視していないのは、それはそれで少し感覚を疑うところがある。そういう意味でも最終的な責任はゴーサインを出した監督にあるだろうが、制作チームのチェックの甘さや差別的なことにおける感覚の鈍感さもまた見直していくべきだと感じる。

製作陣の謝罪文とファン側の受け止め方

 この動画の削除を報告し謝罪文を載せた公式ツイッターに寄せられた意見を見て少し思ったことがある。先ほども少し述べたが、「もう見れないのは残念だけど子供向けアニメだから基準は厳しいですよね」とか「私はあまり気になりませんでした」という擁護の言葉についてである。まず、子供向けだからとか深夜枠だからとか関係なく、差別はブラックジョークや風刺の類とは区別されるべきだ。もちろんこれらをはっきり分けるのは難しい。難しいからこそ考え、議論し、吟味していく慎重さが求められるのである。また、差別発言や行為の問題は受け取り手の快・不快の問題ではない。もちろんそういう側面もあるだろうが、それがすべてではない。たとえ誰一人不快に感じなかったとしても、差別が人の尊厳を奪うものであるという一点において差別はよくないことなのだ。謝罪文のテンプレとして「視聴者様に不愉快な思いをさせてしまい…」というのがある。今回の件の謝罪文にも使われているが、制作陣が問題を快・不快の問題に矮小化して考えていないか少し心配になる言い方である。快・不快が個人の感覚である以上、差別問題を個人の感情の問題に落とし込むことは「視聴者のノリが悪いから仕方なく動画を削除した」という捉え方もされかねない。そういう点でも、制作チームはもう少し慎重な発言を心がけるべきではないか。

最後に

 私は今でも名作くんが好きで、これからも見ていくつもりだ。今回の件においても「悪口しりとり」という発想自体が完全に悪いというわけではないと思うし、キャラ同士の掛け合い、言い合いはこの作品に限らず監督の持ち味だと思う。ただ、いくらYouTube限定とはいえ世間に公開する「作品」なのだから、悪口を取り扱うのならそこに出てくる言葉には慎重でなければならなかった。また「障害」という語についても、その語の指す範囲や意味をよく考えれば、慎重に扱わなければいけない語だと理解できたはずだ。制作陣の皆様には今一度、作品を世に出すことの影響力を考えていただきたい。

そして、一度失った信頼は、行動を積み重ねることでしか回復しないと思う。私はこれからも名作くんというコンテンツをゆるく追っていくつもりだし、来月末のイベントも楽しみにしている。名作くんという作品が今後も末永く続いてほしいと願っているからだ。だから、二度とこういったことがないよう、一視聴者としてこれからも見守ろうと思う。

というわけで、以上長々と戯言でした。ご名作おかけしました。

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