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おかえり。に続く言葉

私自身のことを思い出す。18歳でうちを出て以来、両親の口から「おかえり」という言葉を何度聞いただろうか。新幹線の改札口の向こうで、ある時は母一人、あるいは父一人、そして二人で待っていてくれていた姿が夢のように脳裏を過ぎる。申し訳ないことに、私が一番最初に帰省した時の記憶はない。そして、大学2年からしばらくは実家に帰っていないから、再び帰るようになったのはきっと働き始めてからだったように記憶している。その時の両親は、まだ今のわたしたちより若かったはずだ。

働き始めてからはほとんどのぞみに乗るようになり、両親はだいたい名古屋駅まで迎えに来てくれた。改札のこちら側の少し高い階段の上から探すと、壁画前の広場で私を探して心配そうに右へ左へと歩いている母の姿が見えた。私を見つけると、心配そうな顔は笑顔に変わった。車の都合で母は駐車場で待っており、父だけで改札に来てくれることもあった。のんびりやさんの父はいつも腕を組んでニコニコしながらゆっくり歩いて来た。たまに手を振ってくれることもあったりね。
そんな両親の姿が時の流れと共にパラパラ漫画のように頭の中でめくられる。まだ溌剌としていた両親も、最寄りの駅まで迎えにきてくれた2ヶ月前は、随分と歳をとってしまった。私の人生が、学生から社会人、母、また夫婦二人のスタートと変化した長い時間と同じだけの時間を、父と母は、二人で過ごしてきた。

何度も何度も、何度も何度も繰り返されてきた「おかえり」「ただいま」のやりとり。迎えてくれる人がいるから人間は安心して生きていくことができるというのは、多分本当だ。これからも二人は私に「おかえり」を言い続けてくれるのだろう。育ててくれてありがとう以上に、私を迎えてくれてありがとうと、心から言いたい。

私自身も、今まで数えきれないほど口にしていた「おかえり」の言葉。
今日は本当の意味での「おかえり」を言う初めての日。

「おかえりなさい。帰ってきてくれて、ありがとう。」

このようにして家族のサイクルは繋がって行くのだなぁと、息子の語る新生活の日常を聞きながら神戸空港からの道を3人でドライブして帰った。陽の落ちる空があまりに美しく、この日はまたしても、私にとって特別な日となった。

2022.8.27記

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