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オリンピックのチケットホルダーだった自分のきもち

オリンピックの一都三県の無観客が決定した、というニュースを見てこの記事を書いている。

自分は五輪のチケットホルダーだった。実家(都内)の近くで試合が開催されることになっていたので、実家の両親と観に行こうとチケットを取った。
開会式のような超人気チケットではなかったが、それでも抽選はあったし、せっかくの機会だからと一番高い席のチケットを買っていた。
自分自身はスポーツへの関心は低いほうの人間だ。競技を見ることはそれなりに楽しむが、いわゆる「メダル競争」などはほとんど興味がない。目の前の競技を「へー、ふーん」と手を叩いてみる、その程度の人間だ。

それでも安くない金額のチケットを買ったのは、国際イベントが自分の生活圏で開催されるという非日常に参加してみたかったのと、小学生や中学生のときに前回のオリンピックを観戦していた両親を連れていって、喜ばせたかったからだ。チケットが当たったよと話したとき、両親はとても喜んでくれて、観戦日を楽しみにしてくれて、自分もとても嬉しかった。

だから去年、五輪の開催延期が決定したときは、とてもがっかりしたし、落ち込んだ。素直に楽しみにしていたので、「なんだか、うまくいかないな」としょんぼりした。
そして今年、開催するのか?できるのか?するとしても観客はどうするのか?と、ザワザワしたころには、自分は諦めムードだったし、開催無理だろ、とも思っていた。そもそも、ホストタウンの都市で選手との交流を断念したとか、外国からの観客は受け入れないとか、どう考えても開催すべきでない世界情勢だと世論だとか、すでに「自分の見たかった五輪」ではなかったから、興味も失っていた。

それでも5月頃からの「あ、あれ…開催するの?」という気配から「え、観客ありで…?」と「いや、むりだろ」な開催強行論が発表されるたびに、すこし楽しみな気分が戻ってきていたのも事実だ。
もちろん、昨今の情勢は理解しているし、五輪開催の是非について、自分も疑義はある。とはいえ、人間はつい娯楽をもとめてしまう。「やるよ」と言われたら、チケットを持ってる自分はワクワクしてしまった。そして「どうせやるなら、許される範囲で楽しもう」と思ってしまった。この考えをすでに、不快に思うひともいるでしょう。ごめんなさい、私は娯楽に弱い人間なのです。

幸い、両親は今日(7/8)現在でワクチンを2度接種済み、自分も機会に恵まれたため、3週間まではむりだったが、観戦予定日のギリギリ二週間前までには、2度の接種を終える算段だった。観戦予定の会場には、オリンピック開催の装飾がすすみ、散歩の途中でみかけた父が写真をとって送ってくれた。家族で都内の家から歩いて会場へ行き、観戦して家に戻る。そういう観戦プランを立てていた。それくらいなら、許されるかな?と。閑散としたオリンピックも、ひとつの体験かもそれないな、と。

そして今日の、無観客決定の報道である。
仕方ないな、とおもう。先にも述べたが、いまはオリンピックで観客をいれるより「どう考えても優先すべきこと」がある。
娯楽どころか、生計そのものの活動を禁止されている飲食店の方々がいる。そのひとたちを前に「経済を回すことになるし」なんて欺瞞を吐けるわけもない。
結論自体は誰が悪いわけでもなく、「受け入れる」しかない。たしかに、観客がワクチンを打ってようがなかろうが、そんなイベントをやれば、感染拡大のリスクが高まるのは間違いないし、ワクチンが効きにくい変異株の危惧もある。そもそも、我が家はワクチン「運」がよかったが、打ちたくても打てない人が沢山いる世情で、数を制限したとしても、観客の多くはワクチン接種ができていない状態での観戦となることだろう。

だから、不満だとか、誰かを責めたいとか、そういうわけではないのだが、ただただすごく「残念だな」とおもう。残念だ。かなしい。チケットがとれたとき、嬉しかった。両親が喜んでくれて、もっと嬉しかった。楽しみにしてくれて、幸せだった。みんなでいくのを、家族で楽しみにしていた。

オリンピックの開催反対、有観客反対、もっともな意見だ。自分もそう思う。けれどその一方で、チケットホルダーだった自分は、虚しさみたいなものを同時に抱えていた。
「普通にオリンピックやってよ」「普通に観客入れてよ」もちろん、そんなことは言えないし、そんな主張を持ってもいない。ただ「普通のオリンピック、見たかったなあ」と、失われてしまった2020東京五輪のことを切なく思う。

誰が悪いわけでもない、と書いたが少しだけ不満はある。もっとはやく、決断してほしかった。「このご時世に行くべきではないだろう」という理性と「でも楽しみにしてたんだよ」という感情に、揺れていたチケットホルダーはたくさんいたと思う。
自分は徒歩で観に行く予定だったけれど、地方からの観戦で、準備を整えていたひともいたと思う。わたしだって一応、有給の予定にしていたし。(まあ、無理かなとも思っていたので、まだ有給申請はしていなかったのだけど)
もっと早く決断してくれていたら、変に期待をしないですんだのに。どうせ無理だと思っていたのに「やるよ、できるよ」なんて言うから、罪悪感を抱えながらも、すこし期待して楽しみにしてしまっていたよ。「やれないよ」って言ってくれていたほうが、テレビ放映を楽しみに待てたように思うよ。
虚しさが、増した。

うまくまとまらないなぁ。
IOCという組織には、以前から疑問をもっているし、オリンピックそのものにも「???」と思うことも多い。
だから、今の世の中の「オリンピック」に対する風当たりは、理解できるし、自分もほぼほぼ同意見だ。某会長の顔なんて見たくもない。

ただそれでも、「開催すべきでないと思うし、観客なんてもってのほかと思ってはいるけど、でもとてもガッカリしている」という人間もいるんだよ、ということを誰かに伝えたくてこの記事を書いた。

チケットホルダー以上に、ボランティアに登録してきたひと、開会式などに市民として参加予定だった人などは、色々な時点でもっともっと落胆していることだと思う。
仕方ない。仕方ないけど。とても残念だな、悲しいな。

単純に、素直に、目の前のイベントを楽しみにしていました。こんな事態になる前から、反対意見も多い、パクり疑惑だの国立競技場の云々だの予算膨大だの、おかしなことばかりのイベントだったけど、それでも世界のひとが自分の生まれ育った町にたくさんきて、生まれ育った町で家族と参加するのを、素直に楽しみにしていた。

この禍が憎いです。
五輪の件だけでなく、たくさんのひとのたくさんの「ワクワク」が失われてしまったことが、ひたすらに悲しいです。

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