ハイスペックへの憧れ

「イサムさん、スペックが低いですよね。」

もう、11年くらい前かな、グループのメンバーに言われました。

当時の僕は疲れて仕事に行けなくなることが多く、それでもGAやAAに通ってなんとかギャンブルをやめていました。

ハイスペックとは《hight specificationから》高機能であること。高性能であること。(goo辞書)

くらいはパソコンに疎い僕でも知っていたので、「わしゃ中古のパソコンか!」と思いましたが、たいして腹は立っていなかったような気がしてました。でも、まだ覚えているところをみると、恨んでいたようですね。

僕はずっと「ハイスペックな人でありたい」と思っていたからです。

能力の高い人でありたい。
他の人より仕事ができて、高い評価を得たい。
いやそうであるはずだという強い思いと、空回りする現実。

強迫的ギャンブラーになった一つの要因でしょう。

さらに、GAにつながってからもハイスペックな回復者を目指していました。
12ステップをやって、生きづらさを解消し、周りから一目置かれたい。

スリップした一つの要因でしょう。

それでも、なんとか、かんとかプログラムを続けてきました。
生きづらさは自分が作り出したもの。
自分にできないことは神にやってもらうこと。 
そんなことを学んできました。

そしてやっと受け入れられたように思います。

「僕はスペックが低い」

ミスも多いし、周りの人が10できるところを多分6か5しかできないのです。

昨日の『諸相ミーティング」で自分の信仰が社会に役立っているか問われたと思いました。

今はこう思っています。スペックの低い僕でもきっと人を助けることはできると。明日もミスは多いかもしれないけれど、できることをやろうと。

ほどほどの体力を使って。

GWの最後の日にこう思えて良かったです。

しかし、iPhone15は気になるというハイスペックへの憧れはいまだあります。



※諸相ミーティング
毎月第一土曜日20時から行われているオンラインミーティング
『宗教的経験の諸相』スタディ・ミーティング
(僕にとっては超難しい本の内容をわかりやすく説明してくれるミーティングです。)






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