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七枚のスカートよりもいいもの

一応こちらの続き。

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Twitterで時々見かける通称「青い本」を去年読んだ(ちなみに「白い本」も買ってみましたがこちらは途中まででお休み中)。自分にとっていちばん印象深かったのは、後ろの方の章のトラウマを抱えた女性の成人ギフテッド当事者のエピソードだった。 彼女はギフテッドネスを自分の癒しのために使ったといった様な記述があり、とても共感した。それで良かったんだ、アリなんだと思えた。

自分が派手な暴力こそなかったとは言え機能不全家族で育ち、何だかいろいろ生き辛さとかしんどさを抱えてきたけれど、幸いにも自分に合うセラピーをいくつか受けてみたり、自分なりに何とか折り合いをつける方法を試行錯誤してきた。自分ではそれを運が良かったとか昔から引きが強いと思っていたけれど、ギフテッドネスという要素があることに気がついた。

それは本当にただの遺伝的要因でしかないと思うのですが、回復に必要な資源に繫がるための能力に恵まれていたということだと思い、何とも言えない罪悪感の様なものを持つようになった。一種のサバイバーズ・ギルトなのかも知れない。

これまで自分が努力して編み出して来たと思っていたライフハックや回復への道のりについて書いてみたいと漠然と思っていましたが、単に最初から下駄をはかせてもらっていただけの様に急に色あせて見え出した。

生存者バイアスや自分語りお断りといった言葉も脳裏にちらつき、誰かの役に立つんだろうかとか、意味があるのかとも思えてきた。そんな風に考え始めていたところだったので、ギフテッドネスを自分の癒しに使うという考えは新鮮でちょっとした驚きだった。

煉獄さんのお母さんの、生まれ持った能力を他の人のために使う様にという言葉が心に残っていて、それは本当にそうだと思う。ギフテッドネスとノブレス・オブリージュの関連なども思い浮かぶ(自分としてはこれは社会的な善行ではなく単なる「こうあるべき」へのこだわりの様な気がしているのですが)。 でもやっぱり、自分のためにギフテッドネスを使うというのも、ありなんだと思いたい。

私のお気に入りの児童書の1冊「小さい魔女」に出てくる、7枚のスカートよりもいいものというエピソードがずっと心に残っている。 寒さで困っている他人をちょっとした魔法で助けたあと、同じ魔法を自分にも使えば良いのにと使い魔に言われて実行する主人公。もし私にもそんなチカラが何かちょっとでもあるならば、自分にも周囲の人にも、惜しみなく使えたらいいなと思う。

また鬱になっちゃったりするかもだから、やりすぎ、思いつめすぎに注意ですが。

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自分の癒しのプロセスについて何をどんな風に書こうか考え中。一度に全部きれいにまとめることは難しいと思うので、発散と収束を繰り返しながら少しずつ書いていこう。

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