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ギフテッドネスって何だろう

ある人物が丸ごとギフテッド者という訳ではなく、ギフテッドネスという特性が誰かの中にある、という知久麻衣さん(@mcaowork)の説明がとても腑に落ちた。

高IQやギフテッドという言葉からはどうしてもつい、きらきらした何かみたいなものを連想してしまい。暗がりのすみっこが落ち着く自分にはおよそ似つかわしくないと勝手に思ってしまう。 生きづらさや困難を抱えた人がたくさんいると知ってはいるつもりなのですが。

不登校だった自分を否定するつもりはないし、あの時間はかけがえのないものだったと思っているけど、やっぱり自分には学が無いんだろうなという気がしていて。 必要なことはその都度学んできた様な気もしなくもないですが、あんまり自信はない。

じゃあ普通に学校行って進学していたら上手く行っていたのかと考えると、多分そうはならなかった気しかしない。どこかで必ず躓いていたと思う。 実際うちの高IQとおぼしき親戚にも鬱になったり離婚したりみたいな人が多い様な。ギフテッド以外にもASDとかの要因が家系的にありそうですが。

一種の逃げというか、あるべき理想と自分で勝手に思い描くイメージと、これも勝手に思い込んでいる全てが足りない自分との差に不快感を覚えるというか。 何か言ってることおかしい気がしますが、取りあえず自分はまるでダメ子と位置づけて動かないのは、それはそれで楽なんですよね。思考を停止して。

でも何かちょっとくたびれてしまって。 社会的に何かを成した訳でもないし、ものすごく誰かの役に立ってるとかでもないけど、ギフテッドネスを自分の癒しと生きづらさ軽減のために使って、YoutubeでMonty Python見てげらげら笑って寝るみたいな私でもいいかもなと。

いま自分はおそらく自分のギフテッドネスを理解して受容するプロセスの中にいる気がしている。もう少しいろいろ考えてみたい。

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次はこの連ツイを貼ってみた。煉獄さんのお母さんと7枚のスカートの話。



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