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今日のまーし #87 インプット
現代人が1日に触れる情報量は江戸時代の一年分、平安時代の一生分と言われているそうだ。
本当なのかどうはわからないけれど、実際に知りたいことがあれば、おてもとのスマートフォンでなんでも知れちゃうんだから、そうなのかもね。
好きな時に好きな場所で、知りたいことがいくらでも知ることができてしまうのだ。
ボクは今、望んでもないのに強制的に引きこもりを強いられているんだけれど、本当になんでも知ることができる。
テレビが家にない。そんなボクはもちろん新聞もとってはいない。
実際に引きこもっていて、北京リンピックが終わったことはしっかりと確認できる。
とあるアーティストが覚醒剤で捕まった話も勝手に頭の中に入っていくのだ。
そのアーティストの日常なんかもSNSで簡単にみることができる。
どうでもいい話だけど、ボクはロバート秋山がやっている「秋山森乃進」というネタが大好きだ。
ウクライナの戦争の様子なんかをしっかりとみられる。
なんなら、その戦争の発端だって、しっかりと勉強することができるし、いろんな人の話を聞くことでより多様な考え方に触れることができるからだ。
本当にすごい時代だよね。高校の社会の先生も大変だ。
ここまで面白い授業を動画でされようもんなら、どう言った持ち味を持って授業に向かっているのか。そんなことを社会科の先生に聞いてみたい。
一度飽きたんだけれど、ゲームをやってみた。
「ゲームを楽しもう」というよりは、「ゲームを楽しめる人の気持ちを知りたい」というものだ。
実際にやってみたけど、やっぱり自分には向いていないようだった。
途中から、やたら難しくなるきて、それをクリアしてみて、また新しい関門がでてきて、それをクリアして・・・と、その繰り返しだった。
わかっていたけど、その繰り返しだった。
「こんなことやっていて、なんになるんだろうか」とそんなことを考えていると、それで終わってしまう。
あからさまに「冷める」という感覚になってしまうのだ。
映画にしても同じようだ。
見終わってみれば、なんだか虚無感を感じざるを得ない。
そんな気持ちがしてならなかった。
「あれ、またやってみようかなあ」
とか
「なんだかんだやめたけど、案外悪くない」
なんてことを思うことはほとんどない。(笑)
ボクにとって、ゲームとか、映画鑑賞っていうのはそういうものなんだろう。
たぶん、そういうことが、何かの一部としてやるのは全く楽しいものなんだろうけど、それをメインとしてやっていくのはちょっと難しいのだろう。
そこで、やっぱり大事になてくるのが、何かの勉強なのだろう。
「へー」って思うことが、なんだか自分にとっていいのだろう。
今になって、「戦争」ということについて、よく考えるようになった。
考えて、ここで何かを書き留めようなんてことは思わないんだけれどね。
でも、次の大統領選挙で圧倒的な票数を得たいプーチンさんの立場的な問題
(具体的な結果が欲しい立場)、
NATO加盟国の国々がロシアのエネルギーに依存していること
(安易にロシアに攻撃ができない)、
バイデンさんはアメリカの世論によって動きを左右されていること
(もう世界の警察ではないんだ!という考えの下に決定している)、
それをしっかりと観察している中国
(今後の台湾の問題を考えている)、
経済的な圧迫されようとも、中国と手を組んでいる中露。
また、それが尖閣諸島や北方領土に関わっていく日本(日米安全保障条約の効果はどこまであるのか)
それぞれの国々、それぞれの人の立場があって、動いている。
何が言いたいかって、そんなことは、どこにいたって勉強できてしまうということだ。
別に勉強が好きな訳じゃないんだけどね。
でもやっぱり戦争は良くないと思っております。
今日も読んでくださってありがとうございました。
どんな環境にいても、鼻毛はぐんぐんと伸びていくものだ。
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