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頭痛と珈琲

久しぶりに私と娘の二人生活が始まった。

前回の単身赴任生活は娘がまだ幼かったので、パパに会いたいと言ってよく泣いていた。私もなんとなく休日の公共の場は苦しくなってしまってダメだった。娘は今もやっぱりパパの事は好きみたいで、心配している様子。今まで塾が終わったらバスで帰宅していた娘だったけど、夫が不在だと私も時間に余裕が出来るので、最近は塾が終わる頃迎えに行くようにしている。

娘がどれくらいパパの事が好きかと言うと、隣の席の男の子に「お父さん」と言うくらいお父さんが好きだ。学校の先生をお母さんと言う人は見たことがあるけど、隣の席の男の子にお父さんと言う子は娘が初めて。

ふたりの生活にまだ慣れずにいる
作る料理の量とかメニューとか…


夫が不在になって、夫が毎朝食べるパンを買う必要が無くなったし、毎朝慌てて珈琲を淹れる必要もなくなった。たった3人しかいない家族だけど、1人いなくなっただけでほんの少しペースが狂う。居場所が変わらなくてもなんとなく慣れない生活に戸惑いながら、それが表面化しないように過ごす。どんな時でもそうだけど、戸惑いとか不安な様子は狙われやすい。隙を見せたらそこに入ろうとする人が必ずいるもので、ちょっとまいったな…と言うときほど、いつも以上に堂々とする方がいい。心細いときは誰にだってある。そんなときは弱音や愚痴ではなくて“楽しい”を表面化させたらいい。なぜかって?娘とふたりで寂しいとき、家族団らんをみせつけてくる暇な奥様がいたのでその時に学んだ。楽しく過ごしているひとにわざわざ自分の楽しい姿を見せても面白くないでしょ?(笑)こんなことを書いていると、本当に40歳を過ぎると無敵だな…と思う。余裕がないときほど余裕でいられるように見えない努力はいつだって必要だ。見栄を張るとかそういうことではなくて、変な人を寄せつけないために。誰に見せるとかではなくても、自分自身の輝きは何歳になっても必要だと思う。人に見られることで輝くのはもちろんだけど、見られなくても輝く人って素敵だと思っているし、私もそうでありたいと思いながら過ごしている。

疲れたら、休むことは必要だけど、やらなくてはいけないことをやりながら、動きながら整えていく。私はそうやって乗り越えてきたから、今回もそんな感じで体調も気持ちも整えていこうと思っているのだけど、それが何事にも通用するとは限らないから、つまづいたらそのとき違う生活方法を考えようとは思っている。今までの引っ越し準備でおろそかになっていた掃除のせいで、家の中で所々汚い箇所が見え始めた。その瞬間はドカッと疲れを感じてしまう。これから毎日少しずつ綺麗にしていく。一度に全部は無理だから…。そして掃除はこれから先ずっと続く。

実家と距離をおこうと決めたのに、義母ちゃん(ぎぼちゃん)が私の母に届け物をして、みほちゃんに食べさせて~なんて言うから、母がご飯を作って家に持ってきた。久しぶりに母と会って、一緒にご飯を食べた。母と会ったのはいつぶりだろう。なんだかまた老けた感じがする・・・。麦わら帽子買ったんだ~とかぶって見せたら、えー、かわいーと言っていた。前なら嫌いだと否定していたのに…。

ずっと頭が痛くて、頭の中に白い膜が張られているような感じがしていた。夫がいなくなって珈琲を淹れる必要がなくなったから、珈琲を飲むのを辞めようと思ったのだけど、気圧のせいなのか…変な頭痛(片頭痛じゃなくて)に困っていた。ネットで調べたら、珈琲は気圧とかそういう頭痛に良いらしい。久しぶりに珈琲を飲んだら、すーっと痛みがひいて驚いた。

ぼくはまいにちカメのエサをたべるよ
年間の食費は1200円!
アタチは14歳ですって言うと
可愛くて見えないねって言われるの
可愛いとアタチって見えなくなるの?
アタチも見えません
ぜんぜん見えません


久しぶりに頭痛から解放された。
普通ってすごいことだと思う。


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