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解毒

嫌だったことを書いておく

父が転勤のある仕事をしていたので何度か転校をした。私は転校先で必ずいじめにあった。小学校三年生の春に田舎の小さな小学校に転校したのだけど、そこで私は心の底から田舎って大っ嫌いだと思った。今から30年ほど前の話。平成元年、プリプリがダイヤモンドを歌い、米米が浪漫飛行を歌っていて、ドラゴンボールは途中からZになったような気がする。確認しないで記憶だけで書いている。テレビではとなりのトトロが初放送されたと思う。クール宅急便が始まって、吉幾三と誰かががお刺身が届いてすぐに食べられるなんて~みたいなCMをしていたような気もする。もう一度書く、私は記憶だけで書いている。そんな時代に私は田舎でいじめられていた。よそ者は排除せよというのが田舎に住む人の考えだと思った。子供同士でさえそうなのだから、大人なんてもっとだろう。最初は珍しいから話しかけられる。どの学年も1クラスしかない、しかも20人もいない。一桁の学年だってあった。上級生が私をかわいいと言えば同じ学年の子が嫉妬する。勉強の内容も違う。先生が私を心配するとクラスでこいつだけまた特別か?みたいな空気になる。あー本当に面倒くさい。何とかして早く溶け込みたいなと思ったけど、田舎では自分の事を「おら」というらしい。無理。私には無理。ごめん本当に無理だから。田舎は転校生をステージにあげてあいさつをさせるらしい。まじか、本当に嫌だった。でも、ここで私は生きるしかない。


突然私のものが無くなり始めた。学校にも友達にもなんとなく慣れてきたころだったと思う。靴もない、傘もない、私の名前の部分がマジックでぐちゃぐちゃに消されている。あー、またかと思った。何かうまくいかないことがあったとき、田舎の小学生は転校生のせいにする。私が転校生でこの学校にきたから、自分のイライラが増えたといじめが始まる。転校生って大変なんだよ?勉強だってどこに行ってもそれなりの成績でいるように親に言われるし、スポーツだってこなさないといけない。誰とでも仲良くするように心がける。一番ではなくても、親からはそれなりになんでもこなすようにいつも言われていた。でも、他の子からするとそんな私がなんでも出来るようにみえるらしい・・・が、努力しての姿ですから・・・。当時は言えなかったから、おばさんになった今ここで吐き出しておく。もう一度書く、私は親に言われて努力していましたから。嫉妬して嫌がらせするくらいなら、その時間少しでも自分のために努力したほうがいい。


嫌がらせはどのくらい続いていたかもう記憶にないのだけど、自分の中では結構続いていた気がする。突然だった。突然犯人が分かった。一緒にモノを隠していた子たちが疲れて私に無くなったモノの場所を教えてくれるようになった。犯人は家が近所の女の子だった。彼女の家はお父さんが若い女と家のお金を持っていなくなったらしい。私に何の関係もないけれど、私のせいだと言って嫌がらせをしていたことが分かった。ただ、田舎というのは本当に恐ろしいと思ったのがそのあとだった。急にまわりが私に優しくなった。家に野菜は届くし、道で知らない人からみほちゃんがんばれ!と言われる。どうやらその嫌がらせをしていた子の家のお父さんが若い女といなくなったことが地域の大人にも子供にも知れ渡って、急に私はかわいそうな女の子になった。慣れない土地で頑張っているのに、あの家のクソガキが意地悪をしていたんだと…。みほちゃんはなんて可哀想なんだろう…と。真面目に生きている人は損をすると言う人がいるけど、私は損をしたとは思わない。真実が明らかになれば、私の生活態度は誰もが認めてくれた。そして何よりも信頼とか信用に繋がるのが子供ながらに身を持って感じた。皮のランドセルにシャーペンでぐちゃぐちゃと傷もつけられた。私はそのランドセルをあと3年使わないといけない。その時の気持ちを今思い出しても、なんでその家の家庭環境が悪いことの原因が私のせいになるのかなと不思議で仕方ない。ストレスの発散はほかでやってほしいものだ。かなり迷惑だとおもった。


 その女の子がお母さんと家に謝りに来た。担任の家にも謝りに行ったらしいのだけど、担任には何やらモノを持って行ったらしい・・・と誰かが話したので、え?みほちゃんのお家には何も持って行かなかったの?と大人たちがざわざわしていたのを聞いていた。「実は~らしい」と最初に言った人、言いふらした誰かのお母さんが一番怖いってあたしは今でも思ってる。


 そこでは3年過ごした。嫌がらせの一件で学校に行きたくないと騒いでも無理やり行かせられるし、担任は迎えに来る。田舎では逃げる場所がない。ここで私が生きるには…。意味不明な理由で嫌がらせを受けないためには?どんなことにも負けずに自分の居場所を作るにはとにかく頑張るしかない。逃げずになんでもやろう。スポーツでは限界がある。でも勉強ならやればやるだけ何とかなると思った。学級委員長も生徒会的なことも全て手をあげて引き受けることにした。小学3年生のわたし。がむしゃらってこういうことかなって今でも思ってる。そんな3年間の学校生活だった。


 6年生になる前に転校することが決まった。


私は田舎が大好きになっていた。もう、その地域の子になっていた。自然の中で遊んだことも、山も青い空も大きな木も全てが大好きになっていた。田んぼも畑も大好きだ。地域のおばあちゃんやおじいちゃん、おじさんやおばさん、みんなが私を好きになってくれたことが分かったし、私も大好きになっていた。でも、さようなら。


私はまた新しい場所に行ってまたいじめに合った。6年生にもなると別にもういいよという感じ。最後の嫌がらせは結構早く終わったと思う。生徒数の多い学校だったから、楽だった。


 

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