結局たのしい(格)ゲーは環境がすべてという話なのでは説(何度も)

 ゲームシステムがとかゲームの内容がとかバランスがとかそういう話は本当にに些細なことだと思ってて。何度も書いてるかもですが。

 さっそく対人戦だ!
 ほぼ初見プレイのようすをYouTubeで配信し、ライブで観てくださった人とたくさん対戦した。

 もちろん勝てるわけがないのだが、自分が動かしているアニラがかわいいのでそれだけでも楽しいのと、キャラが多いぶん対戦相手もいろいろなので「へえ、こんなキャラいるんだ!」というのを見るのも楽しい。ゲームは楽しんだもの勝ちだ。

https://gameboku.com/archives/24098842.html

 楽しいのって、一緒に遊んでくれる人がちゃんと楽しいからじゃないですかね。というだけの話っぽく見えた。入門の決定版だからとかそう言うんじゃなくて。

 そういう意味で、その楽しさというのは(人を超えた)再現性がないわけです。対人関係がうまくできる人だったら常に楽しいし、コミュ障だったらずっとしんどいし。

 格ゲー(対人ゲーム)を他人に勧めるという行為の難しさというか、結局はその人の人間性能というか、果ては社会に対してどれくらいちゃんと溶け込んで適応して生きて行けてるのかという所を問われているみたいで、本当に複雑な気持ちになってしまう。

"格ゲーの才能" ってみんなよく言ってるけど、それはゲームへの才能ではなくて、人間への性能なのでは、という思いを新たにした、みたいな話。

 私はSNSもDiscordも苦手なので、それでどうやってやってったもんかなぁ……。

 対人戦やらなきゃいいじゃん、というところで答えは出てるんですが。

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