見出し画像

チーズはんぺん(前編)

小学生の頃の調理実習は楽しかった記憶がある。
しかし私は、調理実習がある度に母を怒らせていたことも記憶している。
その日私は、次の日の調理実習のためにはんぺんを用意しなくてはならなかった。

学校から家に帰って、もう夕方から夜になろうかという時間になって私は、「明日の調理実習ではんぺんを使うから買って」と母に言った。母はキレた。

母に引っ張られるようにして近所のスーパーにすっ飛んで行ったものの、棚にはんぺんはなかった。当然だ。学区内のスーパーである。同じようにはんぺんを必要としている生徒が住んでいる。

ここで、調理実習で作るメニューを説明しようと思う。
チーズはんぺん。チーズはんぺんを調理実習で作る。
はんぺんに切れ目をいれ、そこにチーズを挟み込み、焼いて食べる、チーズはんぺん。揚げる場合もあるし、火を通さずに食べることもできる。美味い(美味い)。

チーズは同じ班の男子が持ってくる予定だった。同じ班のほかの生徒が持ってくる予定だった食品は思い出せない。調理実習で作る料理はチーズはんぺんとなにかだったと記憶している。

スーパーの棚にはんぺんはなかった。見慣れた食料品の棚。
しかし、そこにチーズ入りはんぺんがあった。
はんぺんがないのに、チーズ入りはんぺんはある。
小学生の私にとってそれは絶望であった。
はんぺんはある。しかしそれにはチーズが入っている。
なぜチーズが入っているのか。
そのはんぺんはチーズが入っているから棚に残っているのか。
なぜチーズが入ったはんぺんだけが残っている?
いっそそれさえも棚になければ、こんなに苦しまないのに。

母はやはりまだキレていて
それを買って持って行け、そしてみんな詫びろというようなことを言った。本当にそういう母だった。

私は抗えなかった。しかし苦渋の選択でもある。
私は普通の、どちらかと言えば気の弱い小学生だった。
ポケットベルさえない時代だ。携帯電話もなければ、スマホもない。
はんぺんがないことをその場で、同じ班の同級生たちに確認することはできない。
はんぺんを持たずに次の朝、登校する勇気はなかった。気の弱い普通の小学生だったから。私はチーズ入りはんぺんを買うことに決めた。

言葉にならないがはっきりとした絶望を感じたことを覚えている。
今その場で感じる絶望感ではない。
明日の調理実習の時間に間違いなく、どう転んでも起こる事象に対する絶望。同級生から向けられるであろう視線。言葉、態度。

どんなに絶望しても、はんぺんからチーズはなくならない。
チーズはなくならない。

つづく
はんぺんなので。後編に。

サポート頂けたらとても嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたしばす。