信号無視をしない人生

あなたは「蜘蛛の糸」を知っているでしょうか?

おそらく多くの人が知っているであろう、有名な作品です。悪いことばかりしていた人間が地獄に落ち、しかし生前たった一つだけいいことをしたことにより天国へのチャンスが訪れるも、結局天国には行けないというものです。

もうひとつ、こんな記事を読んだことがあるでしょうか?(ソースが見つからず僕のうろ覚え&脚色しまくりかもで恐縮ですが。。。)


私は別に、大したことをしてきた人間ではありませんし、とてつもない善人でもありません。世間に何か貢献したかと言われれば、おそらくNOでしょう。ですが、そんな僕が一つだけ意識していることがあります。それは、「必ずトイレのスリッパを揃える」ということです。その動機は、こんな、特にすごいことをしているわけでもない自分でも、そういう風に小さなことで誰かの役に立てるかもしれないから。それに、もし自分が死んで、地獄に行ったとして、閻魔様に「お前は生きている間に何をしたんだ」って聞かれて、なにも為せなかった自分でも、「必ず、トイレのスリッパはそろえるようにしていました」ってことだけは、胸を張って答えられるようにしたいから。くだらないけど、意外といい気分になるんです。


地獄があるかとかは置いておいて、僕はこの話を初めて読んだ時、かなり衝撃を受けました。

ああ、世の中にはこんなにきれいな考え方をする人がいるんだな、と。

それから、僕も探したんです。何か自分の人生で、本当に小さなことでも、胸を張ってやり遂げたよって言えることはないかなって。


そして思いついたのが、二つの事でした。

信号無視を絶対にしないこと。

道端に缶やペットボトルのごみが落ちていたら、必ず拾うこと。

どうですか?ばかばかしいと思いますか?そうかもしれません。

けど、あなたは今まで信号無視を何回したことがありますか?

目の前のごみを、何回拾ったことがありますか?

誰もいない深夜の信号を守るなんてばかばかしいと、誰かが捨てたごみを拾うなんてばかばかしいと、思うでしょう。だから、行動に移さないでしょう。

多分、それが普通の感覚です。わざわざ自分の得にならないことを進んでやる人はなかなかいませんから。

けれど僕は、前述の記事を読んで、これを意識すると決めてから、本当に一回も信号無視をしたことはありませんし、目の前にペットボトルが捨てられていたら必ず拾ってごみ箱に捨てるようにしています。

最初は、僕も閻魔様に胸を張って答えるため、というような動機だったと思います。ですが今では、僕が人生で大切にしていることの一つとして挙げられるくらい、根幹を成している基準です。


なんでそんなに生きづらい、めんどくさいことをしてるの?
バカ真面目ってやつ?

友達とか、なんなら親にもたまに言われます笑

けど僕は、信号無視をしてしまった方が効率的だと分かったうえで、ゴミなんて自分が拾わなくても誰かが綺麗にしてくれると分かったうえで、自分の負担を増やすと分かったうえで、これを続けています。


なんで?

僕は、バカ真面目でありたいんです。

僕にとって、ルールを守るってことや、誰かのために小さなことをするってことは、効率よく生きることよりも、何倍も大切なことなんです。

あとは、自分が決めたルールに従うことって、意外とできない人が多かったりして。

その訓練も兼ねていますね。どんなに急いでいても、赤信号は止まります。チカチカしだしたら、渡り始めません。

他人から見て、バカだとか、真面目ぶってるとか、もっと効率よく生きなとか、思われても知ったこっちゃないんです。

自分の理想の自分は、自分で決めるものですからね。

僕はトイレのスリッパの話を読んで、それから二つのことを思いついて、信号無視をしない自分とする自分、目の前のごみを拾える自分と拾えない自分、どっちが好き?って考えたら、前者だった。だから、誰が何と言おうと、その信念(大袈裟)に従おうと。

もっと言えば、そんな小さなこともできなければ、大きなことなんてできるはずないなと。だから、まずは自分にできることから始めてみようと思ったわけです。

ちなみに、これって自分の理想像であると同時に、好きな人にも少し当てはまると(いないんですが)思っていて、

自分の好きになる人は、信号無視をする人よりはしない人がいいな、だったら自分がするわけにはいかないよな。って思ったり。

僕が目の前のごみを拾ったときに、「まじめすぎ笑」とか、「汚い笑」とかいう人じゃなくて、「先に拾おうと思ってたのに」とか、「そういうことって大事だよね」とか言ってくれる人を好きになりたいな、って思ったり。

そういう面もあると思います。


まあ悪く言えば、そういう小さなことにすがって自己肯定感を高めたいんでしょ、ってことかもしれませんけど、良いことをして(信号を守るなんて当たり前なんですが)自己肯定感を高めて、何か問題でも?って感じです。僕からしてみれば。

兎に角、僕が言いたいのは、人生で大切にしていることって、必ずしも大きいことである必要はないということ。

それから、小さなことを大事にするのは案外難しく、けどそれができれば豊かな人になれるということ。

あと、自分なりの基準を持っておくことは、人に流されないために大切であると同時に、人との反発を生むことにもなる。これも大事。

僕は、友達と歩いていて、横断歩道で信号がチカチカしはじめて渡った友達を渡らずに眺めたりしたことがありますが、ある友達は向こう側で待ってくれたし、ある友達は引き返してくれたし、ある友達は「バカ真面目笑」って言いながら待ってたし。そういう人と友達でありたいと思っているから。置いていく人はいませんね。

そんな風に、自分のレギュラーは他人のイレギュラーってことは、人に流されないように意識しているならなおさら知っておく必要があると思います。そのうえで許容してくれる人の貴重さも。

人に流されないことを意識するあまり、人を無理やり流してしまってはダメです。僕は信号に関しては若干流していますが(笑)それは道交法ですから問題ないですね。ゴミ拾いは強制したことはありませんが、やってくれるようになった友人もいて、それは嬉しかったです。やっぱり。



最後に

たかが数十秒のために信号を無視する人生、満足ですか?

目の前のごみを拾うことの、ためらいを超えられますか?

これは僕の僕への問いかけです。じぶんなりの「大切」に従っています。


あなたにとって大切なことは、あなたが決めることです。

でも、決めたことは、守ったほうがいいですよ。

なぜなら、それは大切なことなんですから。

もし何もないって方は、今から、信号を守ってみてはいかがでしょうか。

無視していく人々を横目に、「これくらい守れなきゃね」って笑ってやってください。

いつか、誰もいない深夜の赤信号が、青に変わるのを、僕と一緒に待ちましょう。


それではまた。



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