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平行線

 母にとって私はできて当たり前の子供だった。

 激しい反抗期の姉、持病のある妹。

 寝たきりの祖母、高齢の祖父。

 母として、妻として、嫁として、精一杯のことをしてきたのだろう。

 私は母から、「あんたはどうする?」と訊かれた記憶があまりない。

 じゃあ学校行ってくるから留守番(祖父母の世話)よろしくね。

 お姉ちゃん迎えに行くから、留守番よろしくね(できたら布団も敷いておいて)。戻ってきて布団を敷いてないと父に怒られる。怒られるというか、使えないモノ扱いされる。どうしてできてないんだと、どうしてこんなこともできてないんだと、罵られる。おまえは本当にただ飯ぐらいだと、使えないやつだと馬鹿にされる。自分の鬱憤を晴らすように。

 当然のように妹もついて行く。車は普通自動車。5人乗れる。父、母、妹、姉。

 私は? 私も一緒に行きたいよ。

 私には選択権が無かった。そういう役割に決まっていた。誰も疑問に思っていない。そういうモノだと思っている。自分だけが疑問を抱いていた。

 祖父母は四六時中介護が必要な状態では無い。夏休みには祖父母を二人実家に残して、一泊二日で海水浴場へ行った。昔の人なのだからか、元来手先が器用な人だったのか、祖父はとても器用だった。家中のカーテンを作るのはお手の物。私や姉のおそろいのワンピースも何着か作ってくれた。簡単な電気工事もできた。元警察官の祖父は穏やかで優しい私の自慢だった。


 ある日、不安が極限に達してODをしてしまった。

 発作は治まらず、過呼吸気味になりながら何とかしようともがき苦しんだ。

 どうにもならず、意を決して母に救いを求めた。

[そんなんじゃあかんやん。しっかりしな!」

「仕事してるときの方がよったね。落ち着いてたやん」

 母は何も知らない。職場でも発作は起きていた。職業柄事務所に一人きりで誰にも知られなかったが、ひどいときは過呼吸で気を失っていいたこともあった。

 リストカットやOD   、自暴自棄、自殺企図、過食嘔吐と拒食症。

 母は何も知らない。

 話したことはある。

 頑張りが足らないと言われた。


 この人にはどれだけ説明してもわかってもらえない


 でも、妹の自律神経失調症や過食嘔吐については「どうしたらいい?」と訊いてくる。


その半分でいいから、私に向けてよ。



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