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生きててごめん。

『生きていてごめんなさい。』そう思う人は1日に何人ぐらいいるんだろう。
そして家庭環境が影響してそう思ってしまう子供はどれくらいいるんだろう。

ヤングケアラー

この言葉が最近いろんなところで言われるようになって徐々に浸透している。でも私からしたらこの言葉は凶器になることがあります。

色々な自治体でヤングケアラー支援が進んでいていい動きだと思ってる。でもその反面、言葉が一人歩きしてて、本当に支援を求めている子供達は生きづらくなってないのか、と本気で思うんです。

そもそもヤングケアラーは18歳未満と定義づけされることが多くて、完全に親元を離れて自立できていない大学生はどうなるのかな。支援は受けられないけど、家族以外の場所での自由が広がったからこそ、高校生の時よりも苦しい思いをしている可能性だってあるし、自分の人生を頑張って切り開こうとすればするほど家族に割ける時間が減るし、親の反感を買って家族との関係性が壊れていく子だっているのが現実です。

ヤングケアラーという言葉の認知が広がっているからこそ、子供が生きてきた環境がハードであればあるほど、その子は偉くて頑張ってて。一方で、そうじゃなくて家族のサポートはしないといけないけど『介護』と呼べることまで必要じゃない、だけど精神的に病気を持ってる親を持っていて、家事をしたり精神的に強くあり続けようと頑張っている子供もいるわけで、でもそういう子供より、見るからに環境がハードで大変である子供の方が頑張っているね、と言われるのも今の現実社会。

私はこの一年半色々経験をして、もう自分のことをヤングケアラーだったと言わなくなった。言っていいのかわからなくなったし、自分はヤングケアラーだったと名乗る資格なんてない、そう思うようになってしまって。
実際に『あなたはどう考えてもヤングケアラーじゃない。』そう言われることもあって。もともと自分と似た境遇にあった、家族に精神疾患を持つ人がいるその子供達を助けたくて始めた活動にも終止符を打ちました。活動している中で自分なんかがやっててもいいのかわからなくなって、世の中にはもっと大変な子がいることを知って、そしてこの活動が原因で自分の大事な家族を壊しかけて。あれ以上続けてたら家族だけじゃなくて自分まで崩壊寸前でした。だからやめた。

でも当事者の声は支援の現場に届くことはまだまだ少なくて、でもその声って本当に必要だと思う。だけど今の私にはもう一回同じ活動を始める勇気はありません。この活動をすることで死にたくなってしまった人がいることを知って、大事な家族をボロボロに壊してしまった過去があるから、私はやらない。この私の事例も当事者の声が届きづらい理由の一つなのかもしれない。声を届けるのがどれだけ大切かわかっていても、自分の家族と人生を壊してまで届けるという選択ができない。

でも私は活動を始める前の高校生まで家族と仲良く生きてたし、家事も自分なりに頑張って楽しくやってきてました。
自殺したくなっても死ねなくて、そういう時は1人で号泣して映画を見て紛らわせて寝て学校に行って笑うことで消化してた。最善策を見つけて幸せに生きようとしてたし幸せに生きてました。家族も好きだった。
だけど、自分の人生を歩きたくて、自分がやりたい、挑戦したいと思って始めた課外活動をやればやるほど親との亀裂が大きくなって深くなっていくことを大学生になって初めて思い知りました。

今の私なりに100%で自分のやりたいことをやりつつ家族を壊さないように、波風立てないように生きていたつもりだったけど、私が生きているだけで親を苦しくさせてしまっていた。限界なんだよとまで言わせてしまった。久々、自分が存在していていいのかわからなくなったりします。
18年以上育ててくれた親だから、どんなにお互いに傷つけても、いろんなこと言われても、言っても、大っ嫌いには慣れないし縁を切ることもできそうになかった。
でも私が生きていて、怖いけど自分の人生を切り開こうとすればするほど親は苦しくなって、親に『もう限界』と言わせてしまう現実。
生きててごめん、って思ったりもする。親不孝者だなって思う。
だからと言って今歩いている私の道、やっと切り拓けそうな光が少しだけ見えたこの人生、逃げたくはないし諦めるわけにはいかない。絶対に。

正直どうしていいかわからなくなる。
そして何故か私の周りの人に親と仲が悪いのがデフォルトみたいな人がいて、そういう人と一緒にいると自分の悩みもちっぽけでこんなことで悩んでちゃいけないんだ、こんなことで辛くなる自分て弱いなって思ったります。インターンしてるのもデフォルト、起業して自分で事業を展開しているのも当たり前。
そんな世界にいるとどんどん自分のしてきたことがまだまだで、もっと強くならなきゃ、もっと頑張らなきゃって思うことの連続です。
でもたまには自分の生きてきた環境、頑張ってきたこと、それを誰とも比べずなんの根拠もないけどただ褒めてあげたい時もあったり。

そしてどうしてヤングケアラーは18歳未満と定義されることが多いのか。
18歳以上は支援対象外なのか。それはなんで?

大学生になると高校生の時よりも時間や自由が手に入りやすくなる。だからそこで自分の人生について真剣に考える人が増えるし、考えないといけない機会が増える。でもそのタイミングで自分の道を行こうとすればするほど親との関係性が悪化するのは私だけではありません。
でもどうして18歳までと言われてしまうのか。

そして生きてきた家庭環境がハードであればハードである方がすごい、頑張ってきた、こう思うひとが多いこの現実は絶対に変えないといけないと思う。もちろん大変な環境で育ってきた子供は頑張っている。でもハードさの高い弱いで、頑張ったね、なんて評価すべきじゃないと思う。

きっとこの先も私は自分のことを元ヤングケアラーとは呼ばない。

ううん、呼べないし呼びたくない。

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