写真における「窓派」と「鏡派」
少々写真のことについて。
日頃写真を撮ることが習慣なわりには、写真について論じたりすることが苦手な部類に入る。だから、論じるのは昔から人にまかせてきたようなところがある。でも、今日は少しだけ。
写真にはニ種類ある。「窓派」と「鏡派」。
「窓派」とは写真のフレームを窓とし、そこから外を眺める。いわゆる社会への眼差しと言えるだろうか。社会性のある問題意識で写真を撮るタイプのことをいう。
「鏡派」とは、写真のフレームは鏡の枠。眺める世界は、自然に自己投影された世界になる。鏡だから、もちろん写るのは我が姿というわけだ。写真に写っているのが、人物写真だろうが、ものだろうが、風景だろうが、植物だろうが、そこに写し出され立ち上がるのは、自分のことになる。
わたしは完全にと言えるくらい「鏡派」だけど、初期の頃はストリートスナップを撮っていた。ストリートで撮ったことが基礎になっていて、発症して地元に帰ってきてがらっと写真が変わった。場所が変われば写真は自然に変わるし、まずは生活が変わるからということ。住む場所で如実に反映される。思考も変わってくる。会う相手も違う。歩く道が違う。行く場所が違う。写真が変わって当然だとおもう。地元に帰ってきてすっかり「鏡派」になっていった。もともとそんなタイプなとこは潜んでいたのはたしかだった。
SNSにおける写真は、どちらかといえば「鏡派」といえるだろう。映えを求めるとき、そこに自己が投影されていることは、間違いないだろう。今さらわたしがここで論じるより、皆さんが普段から感じ取っているのが確かな感覚だとおもう。
写真て、自然と好きなものを撮りますね。嫌いだから撮るという人もいたけど、だんだんそれも興味の対象として好きになって行くかもしれない。好きなものを撮るということ、これが自己投影の秘密かもしれない。
それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。
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